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19歳で踊りの「師匠」=琉舞の世界伝える斉藤さん

2006年6月13日(火)

 十九歳で踊りの先生――。昨年県費留学で沖縄へ行き、琉球舞踊を学んだ斉藤悟さん。滞在中に玉城流扇寿会の認定証を受け、ブラジルで教えることができるようになった。
 三世の斉藤さん。踊り始めたのは四歳のころだ。「祖母の持っていたビデオを見ながら真似して覚えた」という。その後七歳から沖縄を訪れ、琉球舞踊の世界を学んできた。
 〇五年に県費留学生として沖縄芸術大学に一年間留学。「組み踊り」と呼ばれる歌舞劇など舞踊のほかに太鼓や琴などの楽器も学んだが、やはり「好きなのは踊り」と目を輝かせる。
 前回の滞在中に、琉球新報が主催する「琉球芸能コンクール」で優秀賞を獲得。通常はその一ランク上の「最高賞」を得ないと教師の資格はもらえないが、家元の谷田嘉子、金城美恵子両氏から認定証を受け、ブラジルで教えることができるようになった。この他にも、沖縄タイムスの主催するコンクールでは太鼓の新人賞も獲得したという。
 優秀賞を受け、サンパウロ市に住む祖母の新垣春子さんに電話した。「何とも言えないほど嬉しかったですよ」と、春子さんはその時の感動を振り返る。
 四日のクリチーバ支部発足記念公演では、単独で男形、女形の舞台を披露。斉藤さんは沖縄の伝統髪結い「小波流きからじ結い」の免状もあることから、自身の舞台に加え、楽屋裏でも大忙しだった。
 「琉球芸能の伝統を守り、三世、四世にも広めていきたい」と話す斉藤さん。現在は、サンパウロ市リモン区の自宅稽古場で生徒を教えている。
 大学や道場の友人たち、帰伯前に那覇市の琉球新報ホールで開かれた「お別れ公演」の出来事を語る。留学した一年はとても思い出深いものだった様子。
 再来年には再び沖縄へ行きたいという。「今度は最高賞を目指したい」というのが目標。しかし、「先生」の時間が終われば、夜は予備校に通う十九歳の青年。「精神科の医者になりたい」というのも、もう一つの目標だそうだ。