2006年6月9日(金)
「移住五十周年を迎えることができたことは、私たち自身の誇りであるだけでなく、コチア青年であることに地域社会の中でも誇りを感じます。今回はサンパウロから元気を持ってきてくれたので、私たちも元気になりました」と、五月二十七日の第一回歓迎会で、テイシェイラ・デ・フレイタス、イタマラジュ、ポスト・デ・マッタにいる仲間の心情を代弁したのは梅田秀広さん(二次/一回・熊本県)。
イタマラジュ郊外で牧場を営んでいるのは、コチア青年連絡協議会元会長の永山八郎さん(二次三回、福島県)だ。普段はサンパウロ市に住んでいる。五月二十八日にはテル夫人と長男のアントニオ勝浩さんを伴ってサンパウロ市から空路駆けつけ、牧場で歓迎昼食会を主催した。ここにも、仲間たちが夫人同伴で参加した。一九七八年に購入した広大な牧場では千頭の牛が悠然と草を食んでいた。
この牧場から南に百キロほど離れているポスト・デ・マッタ市街地の一角に閑静な住居を構えるのは梅田秀広さん(二次一回、熊本県)。ここで歓迎夕食会が行なわれたのは五月二十九日。八重子夫人手作りのムカッケなど珍重料理が参会者の食欲を誘った。
ここにも仲間たちが夫人同伴で顔を見せた。梅田さんがサンパウロ州から南バイアに移ったのは一九七二年。同じ熊本県出身の松井明義さん(二次一回)が先に来ており、呼び寄せの形となった。海岸より約四十キロと近く、土壌は砂質だ。雨量が比較的多いこともあり、レモン、パパイヤ(マモン)、パッションフルーツ(マラクジャ)などの栽培に適しているようだ。
梅田さんはユーカリ植林も手がけている。リオデジャネイロ州から北上する国道101号線の沿線にはエスピリット・サント州北部からバイア州南部にかけて、これらの果樹園、コーヒー畑、そして、ユーカリ林が延々と広がっている。気候風土が農林業に適していることを暗示している。南バイアに入植した当初の苦労は言語に絶するものであったに違いないが、不屈の努力が豊かな大地に支えられて今がある。そして、待ち望んでいたサンパウロからの仲間を迎えて、三日続けて歓迎会を催し、結束の強さを誇示した。
今年七十二歳の神取忠さん(一次十一回)が、コチア青年の親善交流旅行が始まった二〇〇四年以来、毎回参加しているのは、心底仲間を想う気持ちがひと一倍強いためであろう。一九九〇年前後に二期四年間、コチア青年連絡協議会会長を勤めた。長老の一人として、責任意識も強い。
四月十二日のニッケイ新聞記事を読んで参加したというサンパウロ州ボイツーバ市在住の吉久覚さん(六八、三重県)は「家内と一緒に参加させていただいた。第一線で活躍する同世代の姿から学ぶことが多く、最高の機会となった」と満足気だった。一九五九年に移住してきて、果物や砂糖キビ(カンナ)を栽培している現役だ。
「今回の旅でロマン意識を強めた」と述懐したのは人生に男のロマンを賭けている杓田正さん(二次九回、三重県)。吉野義章さん(一次八回、熊本県)は「まだ第一線で活躍している姿を見て、サンパウロ州にいる我々はもっと頑張らなければ、と教えられた」ようだ。「想像していた以上に(バイア州が)発展していた。仲間たちの経営規模が大きいのも初めて知った。コチア青年が果すべき役割を果している姿を見て誇りを感じた」と言明したのは高橋一水さん(一次三回、高知県)。コチア青年連絡協議会会長の義務を果たして安堵しての一言だ。(つづく、文中一部敬称略、渡辺忠通信員)
■南バイアで活躍するコチア青年――サンパウロ市から仲間訪問団――連載(上)=50周年祭典で交歓かなわず=久しい待望実現、喜色満面