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緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(2)=患者は「死」に対し神経質に=チームに求められる冷静、忍耐

2006年5月24日(水)

 二月××日午後、在宅チームの一つに同行した。行き先はサンパウロ市北部リモン区の非日系人男性(47)宅。医師、看護婦、心理士、理学療法士、ソシアル・ワーカーなど七人がコンビに乗り込んだ。
 老人内科医の比嘉智子ケイラさん(二世、31)が車内で、自分に言い聞かせるように言った。「この仕事は、かなりの忍耐力が要求されるんですよ」。
 患者は死に対する恐怖から神経質になっており、ヒステリーを起こすこともある。スタッフ自身が、冷静さを失ってはならないのだ。
 男性のベッドは、玄関を入ってすぐの居間にあった。家族の手の届くところにいたい(いてほしい)という思いが込められている。寝室と浴室などの移動にかかる、介護者の負担も少なくて済む。
 「ボン・ジーア」。スタッフから声をかけられると、蒼白な顔からわずかな笑みがもれた。病名は皮膚がんの一種である悪性黒色腫(メラノーマ)。がんが足から腰椎や肺に転移し、寝たきりの状態が続いている。
 腫れ上がった、両足が痛々しい。腰の当たりには、手の平よりも大きい褥瘡(床ずれ)もある。両腕は自由に動くものの、家族の介護がなければ一人で入浴も排泄も出来ない。もともと、クリニカス病院に入院していた。在宅ケアに、切り替えた。
 「一〇〇%病状が、良くなったんだ」。男性の妻とともに介護に当たっている、弟が顔を綻ばせた。前週に輸血を行い、兄の体調がずいぶんよくなった。それよりも女医の一人が健康を気遣って、電話を入れてくれたのに感心したという。
 「私は健康保険に加入しているけど、こんなにきめ細かい対応はしてくれない」。
 この日、血圧測定・検温などを済ませた後、患部の具合を確めて採血するなどした。患部を前に、スタッフたちが手当ての仕方などを討議。責任者である比嘉さんが、最終的な判断を下した。別室ではソシアル・ワ―カーが各種の相談を受けた。
 患者であるこの男性は医師や看護婦のやりとりを聞いており、インフォームド・コンセント(説明と同意)の形にもなっている。家族は微熱が続いている理由や両足のマッサージの仕方などについて疑問をぶつけていた。
 男性には二人の子供がいる。一人は高校生、もう一人が大学生。経済的にきつい年頃でもある。「いつあの世に行くかは、神だけが知っている。でも子供たちの成長をみたい」。どんな状況でも、希望だけは失いたくないのだという。
 帰りの車中。比嘉さんの表情が思わしくない。「輸血で体調がよくなったけど、本当は重体なのよ。『あなたは、もう死ぬのよ』なんて、ひどいことは言えない。少しでも、望みを持って生きてほしいから……」。
 結局は回復の余地がなく、三月末の朝、家族のそばで眠るように死去した。容体が思わしくないということで、比嘉さんたちはこの週二度訪問。最後に会ったのが、亡くなる前日だった。
 男性は〃遺言〃を残した。「天国に上る準備はできている。皆さん、ありがとう」。
(つづく、古杉征己記者)

■緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(1)=回復の見込みない患者対象=生活の質を高める