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南パラナもふるさと=県連6日間の旅=連載(1)=110人でめぐる〝環境の町〟=市内には入植記念の日本公園=クリチーバ

2006年5月18日(木)

 今旅で二十五回目。数を重ねる中でも「ここに来たのは初めて」となる南パラナを訪れた県連主催の「移民のふるさと巡り」(南雲良治団長)が、四日から九日までの日程で実施された。訪問地は、南部最大の都市クリチーバに始まり、同州で最初に日本移民が入ったパラナグア、コチア青年が多く集ったカストロ、ポンタグロッサと延々続く農園を越えて着いたカルロポリス。参加者は、今回も各地で先没者に黙祷を捧げ、広い農地を開拓した先人の苦労を偲ぶと共に、各日本人会との交流を深め、移民百年祭を見据えた相互の協力を誓い合った。
 「こんなに寒いとは思わんかったわ」。四日午後十一時にリベルターデ広場を出発したふるさと巡り一行は、翌朝六時半、クリチーバのホテルに着いた。「はぁ~っ」と息を吐けば白く変わる。寒い。
 めいめい食事を済ませると部屋へ入ることなく、さっそく市内の観光へ出かける。初日から強行日程だ。
 クリチーバは、標高九百八メートル。人口百九十万人。二十六ある衛星都市を加えると三百万人にもなるパラナ州の州都。また一人あたりの緑地面積が国連規定よりも多い「環境都市」、最新の都市設備を整える「モデル都市」でもある。
 一行は、説明を受けながら市内の見どころ、植物園やパイプ劇場、タングァ公園をまわる。日が昇り暖かな陽射しに包まれて、参加者は「セボーラ」のように服を脱ぎながら、美しく整備された各所で楽しい時間を過ごした。
 午後十二時すぎ。少々空腹感を感じながら、一行は日本公園に立ち寄る。銀閣寺を思わせる博物館といくつかの池があり、住民の憩いの場になっているようだ。
 パラナへの入植を記念し、一九五八年から四年かけて作られた同公園は、九三年に、クリチーバ市制三百周年と日本移民八十五周年を記念して改修されるとともに、新たに鳥居が建設された。毎年十月には、日本祭りの会場となり、折り紙、柔道、相撲の実演で賑わう。
 「これ、かわいいわよね」と、ブラジル国旗と同色で作られた日本式の飾りを買う参加者達で博物館の売店は忙しかった。
 昼食をとった後は、クリチーバの旧市街を歩いて散策。教会や壁画を見て過ごす。ホテルで休憩をとり、午後六時に再びロビーに集合した一行は、今旅の目的であるクリチーバ日伯文化援護協会との交歓夕食会に出発した。
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 「大きな夢だ。自分の精一杯をやります」。力強く百年祭への抱負を締めくくるのは、クリチーバ同協会の山脇ジョージ会長(三世)だ。
 「一九一七年に移住者がロンドリーナから来て野菜などを作り出したのが始まりだったんだ」また、会長自身がそうであるように、戦中にパラナグアから追われてクリチーバに来た人も多い。四、五十家族から始まったここの日系人社会は、今では一万二千家族、およそ三万六千人がいる。
 「あと二年で百周年。日系社会があらゆる面でブラジルに貢献してきたが、それも(ここにいる)皆様の苦労のおかげと感謝しています」と冒頭挨拶をした会長は、百年祭での事業を成功させ「次の若い世代のつなぎにしたい」と、その思いを語った。(つづく、稲垣英希子記者)