2006年5月10日(水)
「この三十年間で一番哀しかったのは、仲間が殉職したときでしょうか」。サンパウロ州軍警総司令部の谷口潔中佐(51、二世)が四月二十九日をもって定年するにあたり、同二十七日にサンパウロ市軍警兵站部レストランで同僚らを中心に、送別会が開かれた。集まった約六十人の中には、総司令官の姿もあった。この機会に、職務の一端を語ってもらった。
この三十年で士官学校の同期百七十人のうち、五~六人が現場で亡くなった。「殉死した仲間の葬式にいき、三歳とかの幼い子どもが棺おけにすがって泣いている姿を見るのが、一番辛かった」。エリート士官ですらその割合だから、部下はもっとすごい数字になるのだろう。
その話を聞き、同席したサンパウロ総領事館の警備班、清水俊昭領事(滋賀県警から出向)からは「は~っ」という深いため息がもれた。
谷口中佐はいう。「親に小さいときから日本語は大事だと教育されてきた。それが仕事で役に立ちました」。こだわりをもって育ててくれた親への感謝の気持ちは深い。西礼三大佐、柳田浩治大佐ら退職した先輩から「日系社会のために役立つことをやってくれ」といわれ、それを忠実にこなしてきた。
七六年二月、士官学校卒業後、第三大隊に配属。続いて第一機動隊、人事課、さらに現在の総司令部参謀部第一課人事企画部へ
頬をかすめた弾丸
警ら隊にいた八〇年ごろ、自動車泥棒の四人組を追い詰めた。幅一メートル、奥行き五十メートルの袋小路で、果敢に途中まで追ったところで、一味はドアをついたてに突然、発砲してきた。
「逃げ場がないっ、と思った瞬間、チュ―――ンと弾丸が頬をかすりました」。結局、犯人を逃がしたが、「よく当らなかった」と冷や汗をかいたと中佐は淡々と語った。
日系社会からの相談を受ける後任として三人の若手を指名した。上山クニヒロ中尉、高橋レオナルド・アキラ中尉、財部秀雄中尉だ。谷口中佐は「ただし、駐車違反をなしにしてくれとかいうケブラガーリョはダメ」と釘をさす。
「日系社会にあつくお礼を言いたい」。中佐は何度も繰り返す。「軍警人生に思い残すことはありません」。会場にはエリゼウ・エクレール・テイシェイラ・ボジェス総司令官、パウロ・マリーノ・ロペス副司令官らを先頭に、大佐ら士官クラスの同僚が六十人あまりも集まった。
定年後について「これからは家族と過ごしたい」。十三歳と十歳の娘の成長を見守るという。