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パリンチンスに上塚司学校=〃アマゾン開拓の父〃=市が顕彰=10月に入植75周年祭を=「日本人墓地を修復したい」

2006年4月28日(金)

 「アマゾン開拓の父」上塚司の名を冠した市立農業学校が、アマゾナス州パリンチンス郡ヴィラ・アマゾニア地区の、まさに高拓生発祥の地であるアマゾニア産業研究所跡地に三月十三日に開校した。イナウグラソンに出席したパリンチンス日伯文化協会の武富マリオ会長は「農業学校にこの名がつけられたことは意味深い」と喜ぶ。列席したエドゥアルド・ブラガ州知事も「日本人の貢献を、このような形で顕彰することはすばらしい」と高く評価した。
 一九三一年、アマゾニア産業研究所に第一回高拓生四十七人が入植した。それから七十五年という記念すべきタイミングで、パリンチンス市は日本移民の歴史を学校名に刻んだ。
 現地に今も残る日系人百家族同様、武富会長(50、三世)自身も高拓生の子孫だ。開拓当時、うっそうとした密林を切り開き、川べりに日本人がジュータを植えることから発展をはじめたヴァラ・アマゾニア。現在では人口三万人を数えるほどになった。十キロほど離れた島であるパリンチンス市も十万人都市に育った。
 高拓生の子孫の集まりであるアマゾン高拓会の丸岡ロベルト会長(アマゾニア日系商工会議所専任理事)は「仕事で出席できなかったのが残念だ」としながらも、「大変名誉なこと。上塚司に代表される日本移民の功績が、このように認められたことは大変嬉しい」と語った。
 同農業学校は五年生から八年生の六百人が定員。同地域の農業生産性の向上を目指している。昨年から市が計画、建設を進めていた。州知事は式典当日、同地域へのアスファルト敷設を公言し、ガルシア市長も学校が農場実習に使うトラック六台を寄付することを約束した。
 学校が建てられた土地は、アマゾニア産業研究所があった記念すべき場所。建物が取り壊されたあと、長い間、放置されたままになっていた。
 武富会長によれば、十月に入植七十五周年式典を予定しており、「マナウスや全伯から高拓生本人や、その子どもや関係者を招待し、盛大に祝いたい」と希望している。
 「できれば、本部会館などの当時の建物を再建し、移住博物館を作り、日本移民の歴史を残したい」と熱く語った。
 同協会は現在、日本政府に資金協力を要請しており、七十五周年記念の一環としてパリンチンスの同協会会館敷地内に学校を設立する計画を持っている。
 武富会長はさらに、「二十体ほどの遺体が埋葬されたままの日本人墓地も、荒らされたままになっているので、元通りに直したい」と願っている。日本人は墓の中に金品を埋蔵するとの誤解から、一部の地元民が墓を暴き、荒らされたままになっているのだという。
 「たくさんデカセギに行ってしまったが、我々がここで日本移民の伝統を残したい」と語った。
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 上塚司は一九三〇年三月二十日、アマゾン開拓を目指す国士館高等拓植学校を設立。入学資格は旧制中学卒業以上、日本で一年、現地で一年実地訓練をする。人作りと事業を共に進める移民拓植事業としては極めて特色のある体制を目指した。当初は国士館専門学校の敷地内にあり、国士館高等拓植学校と称した。
 上塚司は国士館高拓に代わり神奈川県稲田登戸に新校舎を建設し、日本高等拓植学校と改名した。高拓生は三回生をピークに、七回生の送り出しを最後に閉校となった。高拓生は全部で約二百五十人に上った。