2006年4月7日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】セーラサンパウロ市長が十月に行われるサンパウロ州知事選に出馬することを決めて三月三十一日付をもって辞任したことに伴い、ジルベルト・カサビ副市長が市長に昇格した。国内最大規模のサンパウロ市の司令塔として一躍スポットライトを浴びた形の新市長は、これまでセーラ前市長の実力と人気の影に隠れ、一般市民になじみの薄い存在だったが、いかなる経歴の持ち主だったのか?
新市長は四十五歳で独身、アラブ系移民の父のもと六人兄弟は新市長も含め、すべてサンパウロ大学の経済学部と工学部卒、妹はカトリック大学の教育学部卒と秀才一家。クリスチャンだがそれほど敬虔ではなく実利主義者、市長就任の祝宴を断り、父親と普通の夕食をした。
用意周到な性格で、演説などは予め原稿を用意して即興は好まない。ブラジル人には珍しく時間厳守をモットーにしている。尊敬する人物は所属する自由前線党(PFL)のリーダー格のマルコ・マシエル、ジョルジ・ボウンハンセン、クラウジオ・レンボの三氏で、とくにマシエル上議に傾倒している。同上議の教訓の「新聞紙上にいつも名を連ねても良いが、トップ見出しにはなるな」を心掛けている。
新市長は一九九二年、サンパウロ市議選で自由党(PL)から出馬し初当選を遂げた。その後PFL党総裁で一九九三年から一九九六年まで市長を務めたマルフ元市長に同調してPFL党員となり、マルフ元市長の盟友で次期政権を狙ったピッタ元市長のもとで企画局長に就任した。しかし、ピッタ元市長の失脚とマルフ元市長のスキャンダルの表面化で両元市長とはその後、一線を画して中立路線を歩んだ。
新市長によると、これまでの最上の喜びは市議初当選で、最も悲しかったのは〇四年の選挙で、無実の中傷やいやがらせを受けたことだという。二〇〇四年のサンパウロ市長選で党がブラジル民主社会党(PSDB)との連立を決定、党公認、セーラ市長の副市長として立候補して当選した。
カサビ新市長は一八九八年に制定された副市長昇格法に基づき、サンパウロ市第六〇代目の市長となる。同法施行後では二年九カ月間の副市長就任は最長期間の新記録となる。これまでの最高は一九五六年四月から一九五七年四月までの当時のピザ副市長の一年間だった。最後一〇期の市長では、ピッタ市長の失脚によりオリベイラ副市長が二〇〇〇年五月二十六日から六月十三日まで就任したにとどまっている。
過去五十一代目からの市長経歴は、マリオ・コーバス(八三年から八五年)、ジャニオ・クアドロ(八六年から八八年)、ルイザ・エルンジーナ(八九年から九二年)、パウロ・マルフ(九三年から九六年、ちなみに六九年から七一年も就任している)、セルソ・ピッタ(九七年から二〇〇〇年)、レジス・オリベイラ(〇〇年)、セルソ・ピッタ(〇〇年返り咲き)、マルタ・スプリシイ(〇一年から〇四年)、ジョゼ・セーラ(〇五年から〇六年三月三十一日)、ジルベルト・カサビ(〇六年三月三十一日就任)。