サレゾポリスの海岸山脈から発するチエテ川の旅は長い。バーラ・ボニートには船を昇降させる閘門も造られ、アラサツーバ辺りになるとかなり大きな河川になりパラナ河に合流しラプラタから大西洋へと濯ぐ。この河川を利用し船舶による運送を活発にしたいの構想もあるようだけれども、中々―思うようには進んでいないらしい▼あの川も昔は清流であったし、汚染はなかった。60年代の半ば頃までは、数は少なかったけれども、レガッタの練習に励む人もいた。セーラ市長によれば「泳ぐ人もいた」そうだから、市民たちに心から愛された川だったのである。だが―。70年代に入ると廃水などが大量に流れ込み汚濁が進む。悪臭を放ち雨が多ければ洪水に見舞われ住民らは逃げ惑う。その悪名高きチエテ川が、清流には遠いが―見事なまでに蘇った▼日本人移民にとって嬉しいのは、この工事資金が円借款によって賄われたという話である。国際協力銀行が500億円をサンパウロ州に貸し河川の改修や堤防の側面をコンクリ―トで固めるのに成功した。総延長52キロもの河川を奇麗にするのは難しい。事業が始まってから13年も掛かっているが、現場の艱難辛苦は想像を超える▼日本のODAには批判囂々ながら、使い方によっては、こんな良い例もある。地下鉄の工事費についても巨額の円借款がある。こうした支援は長い目でみれば大きな功績を生み出すし、日伯の絆も強くなる。「治山治水」は国家100年の計であり、これを怠れば国は滅ぶ。美しいチエテでの水浴びを想い夢みながら―。 (遯)
06/03/25