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日伯交流協会=派遣事業いったん幕ひく=748人が両国のかけ橋に=軸足を伯側に来年復活か

 若者交流を進めて二十五年――いったんその活動に幕を引くことになった日本ブラジル交流協会(日本側=藤村修理事長)。約七百四十八人を日本から送り出し、無事に研修させてきた二十五周年を祝うとともに、受け入れ先や協力者に感謝するための集いが十日夜、ニッケイパラセ・ホテルで開催され、約百八十人が出席した。ブラジル側からは来年再開する見通しが熱く語られ、関係者は期待をよせた。
 日本側理事を代表して来伯した上智大学の堀坂浩太郎教授は、式典のなかで派遣先代表にお礼を言うととも、来年からの制度復活に賛意を贈り、「百周年を契機とする新しい日伯交流史のいしずえになれば」との期待をのべた。
 ブラジル日本交流協会(=ブラジル側)の山内淳会長はまず、引き受け先関連団体・会社に「厚く感謝申し上げます」と謝辞をのべ、さらに「〇七年から再開し、二十人を受け入れる準備をしている。引き受け先団体には、今後もご理解とご支援をお願いしたい」と公言。OBや協力者らを中心に、準備が進められていることを明かした。
 堀坂理事は派遣中止となった理由の一つを、「本来の教育事業の目的を果たすには、二十人程度が適当とするブラジル側と、四十人以上を派遣しないと持続できない日本側とのギャップが大きな原因になった」と説明した。
 専従職員を雇い、東京都心に事務所を構える日本側は必要経費が大きい。かつては協賛企業からの寄付があったが現状では難しく、研修生が払う一人九十万円で運営するには、四十人以上の人数が経営上必要との事情があった。対するブラジル側は、基本的にOBらが無償で協力支援する状態で、本来の教育的な意義を守りつつ四十人以上もの面倒をみるのは、負担が大きすぎるとの意見があった。
 堀坂理事は「当面、事務所は続けるが、専従職員は持たないものとなる」と説明。日本側の山口達朗事務局長は、同協会の四半世紀の歴史をまとめた小史『夢のかけ橋』とは別に、本格的な正史を二年かけて編纂していくと発表した。
 同事務局長によれば七百四十八人の研修生うち、のべ約百人がその後一年以上の長期滞在をしに戻った。マナウス、マラニョン、カンポ・グランデ、南部三州など全伯各地にちらばる永住者が二十人以上もいる。日本にも、群馬県太田市で在日ブラジル人コミュニティと関わるものがいるなど、両国のかけ橋になっている。
 サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事は、外務省同僚にもOBらが活躍しており、「日伯関係を語る上で重要な役割を果たしている。世界最大の日系社会があるブラジルに、新しい血を入れてくれている。大きな意味がある」とその意義を語った。
 文協の関根隆範副会長は「今後も今まで同様、できるだけの協力を惜しまない方針だ」とエールを贈った。また、十五人以上の研修生を北伯ベレンで受け入れてきたアマゾン・トラベル・サービスの北島義弘社長は、「うちのかみさん、三年前亡くなったとき、ベレンで研修していたのはもとより、四十~五十人の研修生から『奥さんにお世話になりました』って弔電が届いた」と思い起こす。この制度が生んだ絆の意味をかみしめたと言う。
 日本で撮影されたビデオでは、藤村理事長が不在を詫びると共に「引き続きご支持をお願いしたい」、健康問題から訪伯できなかった同協会創立者、玉井義臣会長はビデオの中で「ビーバ! 日伯協会」との応援メッセージをおくった。