ブラジル日本商工会議所が、〇六年定期総会で活動方針を発表した。そのなかに「移民百周年事業への取組み」があった。これは、同会議所も百周年に関わりがある、記念しなければならない、と総会で認識されていることを意味する。
移民史のなかで、明文化されている最初の日本企業は横浜正金銀行だ。同行は一九一九年にリオに支店を開設した。三年後の一九二二年には南米視察実業団(団長=山科禮蔵東京商業会議所会頭)三十人が来伯、ブラジル産業の視察を行っている。戦中戦後約六年の空白はあったが、日本企業のブラジルでの活動は、九十年近く、移民個々の歩みに準じる年月行われてきたわけだ。
会議所は、百周年祭典に具体的にどう取り組むのか。会議所メンバーの中に祭典記念協会と強いコネがある人物が少なくなっている。ここは独自路線でいくのか。(神)
06/03/14