2006年2月28日(火)
今年のサンパウロのカーニバルでは、初めて正式に日本人メストレ・サーラが誕生、サンボードロモ(サンバ会場)に掲げられた日本語応援幕など珍しい話題があった。日本人や日系人が踊り、打楽器、応援と多岐にわたって頼もしい活躍をみせてくれ、その存在感が増していることを感じさせるものとなった。有名エスコーラが百周年をテーマにしたパレードをする可能性もあり、08年2月に向け、ますます盛り上がりをみせそうだ。
二十四日深夜、パレード出発のサイレンが鳴った瞬間、「涙が出てきちゃいました。日本にいた時のこと、練習の時のことを思い出して」と語るのは、今回もっとも豪華なパレードと評判の高いインペーリオ・デ・カーザ・ベルジで、正式な日本人メストレ・サーラとしてはサンパウロ初という重責を担って踊った三由翼さん(みよし・つばさ、25、埼玉出身)だ。
第三カザウとして出場し、伯字紙にも写真入りで報じられた。メストレとは、エスコーラを象徴する旗を掲げるポルタ・バンデイラ(女性)と対で踊る重要な役割。各校には三組から五組あり、それだけで採点対象となる。通常はコミュニティで顔の知られた信頼の厚い人に任される。
三由さんはだるま塾の交流制度で来伯し、サンパウロ市北部の平成学院に昨年一月から二年間、日本語教師をしている。それ以前は東京のエスコーラ「リベルダーデ」でメストレをしていた。来伯したばかりの外国人が〇五年の優勝チームでメストレができたのは、「いろいろな幸運が重なったから」と説明する。
「本当に夢心地でした」と当日を振り返る。「僕自身本当に運が良かったと思う」。観客の反応は思いのほか良かった。タルデ紙も「会場にたくさんの喜びを喚起した」と評した。ジアリオ・デ・サンパウロ紙も「日本人メストレ・サーラが会場を沸かせた。大変珍しいケース、大きな注目を浴びた」と書いた。
あまりの反響に、本人は「ちょっと願いが叶うのが早すぎました」と苦笑いする。「次に向けてがんばります」。
メストレ・サーラの先駆は中島洋二さんで、九八年に賓客扱いでサンパウロ市でのパレードを果し、その後はリオで正式なメストレになり、日伯をまたにかけたプロフェッショナルな活躍を続けている。昨年のグローボ局ノベヴェーラ「セニョーラ・ド・デスティーノ」に出演していたことでも有名だ。
二十五日早朝六時、会場には珍しい日本語の横断幕「VAIVAI がんばれ、日本」が掲げられた。直前に来伯した若松裕美さん(29、千葉)と長井里与さん(30、東京)らが友人を応援するために作った。二人とも東京のエスコーラ「バルバロス」のダンサーだ。「いっぱい友だちが出ているから応援したかった」と若松さん。自身も昨年、同校でパレードした。
実はこの横断幕、宿泊する県人会館にあった昨年の県連・日本祭りのポスター十枚をつなげて、その裏に黒いゴミ袋を七センチ幅に切って文字を描き、透明なテープで貼り付けたもの。テレビ中継でも紹介されるなど注目を浴びた。
その幕を見た、同打楽器隊の一員、出場七年目の日本人女性は「(サンバ会場で)日本語で応援されたのは初めて。涙が出そうになった」と語った。
同じ打楽器隊(アゴゴ)で参加した駐在員、細谷資通さん(41、東京)は「当日のパレードだけでなく、日本の人には練習の盛り上がっている様子も見てほしい」という。
今年も大半のエスコーラで日系人が出場している姿が見られた。百周祭に向けて日本人や日系人の参加を催す「ジャポネーズもサンバ」プロジェクトも進められており、今後も盛り上がりをみせそうだ。