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第50回パウリスタ・スポーツ賞=輝かしい歴史=連載第1回=半世紀前の受賞者=芥田さん偲ぶ=「純粋なスポーツマンでした」

2006年2月25日(土)

 三月二十三日に行われる第五十回パウリスタ・スポーツ賞贈呈式にちなんで古い受賞者OBを訪ね、現状を聞いてみた。
 まず、一人だけ受賞した第一回受賞者の芥田(あくた)和夫ルイスさん(サント・アマーロ)は残念ながら〇三年に七十二歳で病死、ベテラン陸上仲間を悲しませた。
 生前の芥田さんと親交が深かった第三十回(八六年)スポーツ賞受賞者の余語義家さん(84)に、故人の思い出を話してもらった。
 「芥田さんは純粋なスポーツマンでした」という。一番の思い出は山梨国体にブラジル選手を引率して余語監督、芥田コーチとして参加したことは貴重な体験だった。
 芥田さんは富山、三重、栃木、長野などの国体に出場しているが、特に富山では走り高跳びで優勝するなど大変優れた跳躍の選手だったが、コーチとしても良い指導者だった。
 コロニアはもとよりブラジル陸上界でも高名なスポーツマンであり、生涯、陸上競技を愛し、後進の指導に尽力、アテ・アビスタ会の会計をつとめるなど信望が厚かった。
 また、同会書記理事の高柳アベルトさん(63・歯科医)=元ピラチニンガ文化体育協会会長も晩年の芥田さんと一緒にコロニア陸上界で活躍した人で、一九九四年第三十八回スポーツ賞受賞者である。「芥田さんと一緒に仕事をしたことを誇りに思い、今も尊敬しています」と回顧した。
 コロニア陸上界の元老、余語義家さん(84)は第三十回(八十六年)の受賞者であり戦後、四六年にいち早く復活した邦人陸上競技大会に委員として活躍、以来、六十年にわたる貴重な生き証人である。
 ピラチニンガ文化体育協会(創立一九五〇年)の創立者メンバー、南部忠平さんの五二年の来伯を期して日本から訪伯するスポーツ人の応対のためつくられたアテ・アビスタ会の創立メンバーでもあり、会長も歴任している。
 サンパウロ州及びブラジル陸上連盟の理事も経験、主として役員として半世紀以上にわたり尽力してきた。
 現在は悠悠自適、早朝一時間のウォーキングと週一回のゴルフを楽しんでいる。
 「第五十回目のパウリスタ・スポーツ賞は大変意義深いこと、心からお喜び申し上げます。また、受賞者OBとして大きな誇りを感じます」と、メッセージを贈ってくれた。
(不定期連載)