2006年2月17日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十六日】一九九二年十月にサンパウロ市カランジルー刑務所で発生した暴動で警官隊が突入し、囚人百十一人が死亡した事件で、警官隊の指揮官ウビラタン大佐(当時)の責任を問う控訴審が十五日に行われ、サンパウロ市高裁は一審の判決を棄却して、無罪の判決を言い渡した。これにより警官隊の責任は回避され、同罪で起訴されている八十四人の当時の警官の裁判に影響を及ぼすのは必至だ。検察側は判決を不服として上告することを決めた。判決は関係者に衝撃をもって迎えられ、法廷内の傍聴席から抗議の声が挙った。米州人件擁護団体は抗議運動を展開するとともに、アメリカの本部から政府に対して抗議の申入れをするなど、立ち上がる気配を見せている。連邦司法当局は今回の判決に静観の姿勢をとり、コメントを避けている。
サンパウロ市地裁の一審判決は二〇〇一年に行われ、警官隊の刑務所内への突入を指揮し、囚人らに発砲を命じたとしてウビラタン被告に対し、六百三十二年の有罪判決を言い渡した。被告は控訴していた。
今回の高裁特別法定では裁判所判事の陪審員が二〇対二票の絶対多数により、一審の判決を棄却して無罪とした。
裁判長は判決理由として暴動を鎮圧するため職務を忠実に遂行したまでとしている。これに対し関係者はショックを隠せないでいる、弁護団は減刑を目的とした情状酌量の論旨を展開していただけに、逆転判決に被告当人とともに信じがたい表情を見せながらも喜びに浸っていた。
事件は九二年十月二日、カランジルー刑務所内で敵対する犯罪組織の抗争から暴動が発生、所内に火が放たれ囚人同士の殺人に発展した。出動した警官隊を指揮していたウビラタン被告は暴動リーダーらと交渉を繰返したがラチがあかず、所内への突入を命じた。
警官隊に抵抗した囚人百二人が被弾して死亡、九人が刺殺死体で発見された。刺殺は囚人同士のいがみ合いと見られたが、射殺は警官の仕業として指揮官および八十四人の警官が起訴された。これら警官の公判はまだ一度も行われていない。
今回の判決で、責任の所在がつかめないことで起訴されている警官も無罪になる公算が大きい、これに対し人権擁護団体や司法関係者は、警官の射殺事件として世界に類を見ない裁判で、責任が追及されないのは前代未聞だとして、ブラジルの司法の無知と恥を全世界にさらけだしたものだと非難している。
判決が下った法廷の外では逸早く人権擁護団体による抗議デモが繰広げられた。デモ隊は無法国家のプラカードを掲げ、警官は無抵抗な人間を殺しても罪にならぬのかと口々に叫んでいた。米州人権擁護団体はアメリカ本部の指示を待ちながら、大規模な抗議運動を計画している。