2006年2月1日(水)
第七回パラグァイ全国パークゴルフ大会が、一月二十二日、イグアスー移住地で開催された。今年はイグアスー・パークゴルフ愛好会(岡村孝会長・高知県)が主催し、日本人会と農業協同組合が後援した。移住地と関係のある企業八社が協賛。移住地入植四十五周年の記念事業であった。各地から百余名が参加して日頃の練習の成果を競い合った。
会場となったピクポ公園は、ブラジル国境から首都アスンシオンに通じる国際道路に面している。貯水池の土手にある玄武岩を並べたCOLONIA YGUAZUの大文字が鮮やかだ。この公園は五十三ヘクタールの面積を擁し、ほとんど自然林で覆われている。
イグアスー移住地を開発したJICA(現・国際協力機構)が、この自然公園を有効活用できないか、と日本人会に打診したのが一九九八年のことだ。これを受けた当時の深見秋三郎会長(高知県)が佐々木信孝(岩手県)、関節朗(二世)、松永真一(山口県)三氏に検討を委託したところ、すでにゴルフをやっていた三氏は、老若男女を問わず、誰でも気軽にプレーできるパークゴルフに着目してコースを作ったのが始まりだ。
「この公園は農地にはならない土地だ。それなら、自然林を残しつつ、市民に楽しんでもらう土地にして残そう、という発想(がパークゴルフ)だった」と松永真一さんは証言する。 同年九月には佐藤昭機さん(福島県)を委員長とするパークゴルフ愛好会準備委員会が発足し、翌九九年に愛好会が正式に発足した。O四年まで愛好会の初代会長をつとめた佐藤昭機さん(64)は「軽いスポーツなので、誰でも楽しめる。一人でも楽しめる。とくに、五十代~六十代の健康維持に役立つ。当時、私は体重六十八キロで糖尿気味だった。今は五十六キロ。血糖値も下がり、コレストロールは正常に戻り快調そのもの。健康志向の皆さんに勧めたいスポーツです」とパークゴルルを礼賛している。
「適当な運動ができて楽しい。勝負は二の次。この運動があるから元気だ」とは最高齢参加者の佐々木幸治さん(94、岩手県)。同じように酒井幸子さん(高知県)「勝負は関係なしよ。このような大会は刺激があるから楽しいの」と言いながら、シニア女子部で三位に入賞する健闘だった。
大会は大いに盛り上がり、三十六ホールを廻った後でも一位と二位、三位と四位の順位を決めるプレーオフまで生じた。ホールイン・ワンを決めた佐藤セリーナさん(二世)は「最高!大会の時は緊張するので、普段より難しい。今日はやったわ」とご満悦の表情だった。一般女子の部で一位を飾った。
シニア女子の部で優勝した西岡妙子さん(長崎県)は周囲から「還暦祝いだね」と冷やかされて「はずかしい、奇跡よ」と言いながら目が笑っていた。一般男子部一位は関節朗さん(群馬県)、シニア男子部一位は高田伝太郎さん(福島県)だった。高田さん(68)はこれで三回優勝のベテランだ。団体の一位イグアスー・チーム、二位ピラポ・チーム、三位シダデ・エステ・チームだった。
大会委員長の岡村孝イグアスー・パークゴルフ愛好会会長は「今日は和気あいあいの中で無事に終わった。嬉しいの一言に尽きる」と総括した。今年は日本人のパラグァイ移住七十周年、移住地相互の信頼と連係意識の高まりにパークゴルフも一役を担っているようだ。