2006年1月27日(金)
「サンパウロからもぜひ来てほしい」。アマゾナス州都マナウス近郊にあるエフィジェニオ・サーレス自治会(Associacao Comunitaria Nipo-Brasileira Efigenio de Sales)の宮本倫克会長(石川県出身、62)は、二〇〇八年に挙行する創立五十周年式典への参加を早々と呼びかけた。
すでに宮本会長を委員長とする、五十周年記念祭実行委員会も立ち上げられ、顧問には西部アマゾン日伯協会の村山惟元(これもと)会長が決まっている。
同地には石川県出身者が多いことから、〇八年六月予定の記念式典には、同県からの慶祝使節団の来伯を期待している。記念事業としては、記念碑の建立を予定しており、その揮毫(きごう)は石川県選出の森喜朗元首相にお願いしているという。
その他、記念誌『天園』の第三号を発行する予定だ。「日ポ両語にして、子孫に歴史を伝えたい」と宮本会長はいう。すでに二十周年誌『天園』一号、三十周年誌二号を参考にして「立派なものを作りたい」と意気込む。記念誌編纂委員長には亀崎満義さんが就任し、〇八年刊行を目指して準備を進めている。
宮本会長は「他にももっとイベントとかできないか検討中です」と語る。身長百八十センチの巨体で身振り手振りを交え、「式典当日には、全伯に散らばったエフィジェニオ・サーレス出身者を招待したい。ぜひ関係者はみんな来てほしい」と力強く呼びかけた。
ここは州の計画移住地で、一九五八年に海協連の指導で十七家族が第一次入植し、以来、五九年に六家族、六〇年に十五家族、六一年の第四次入植では十六家族と計五十六家族が入った。石川県人が多い。日本へ帰国するもの、都会へ転住するものもいたが、現在でも三十数家族が住み、養鶏が盛ん。初代ブラジル大使、田付七太氏がアマゾン視察をした際、歓迎した当時の州知事がエフィジェニオ・サーレス氏で、それにちなんで名付けられた。