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リオの大空を舞え=浜松から伝統の凧揚げ=移民百周年で実現を

2006年1月20日(金)

 二〇〇八年の日本移民百周年に向けて、旧都リオに日本の凧(たこ)揚げを招く計画が進んでいることが明らかになった。同州の日本移民百周年記念事業の一環として企画されているもの。このほど、実行委員会関係者が浜松市の北脇保之市長を訪れ、正式に招へい状を手渡した。浜松は「凧揚げ合戦」で知られる日本有数の凧の町。リオでは九五年の日伯修好百周年でも日本の凧を揚げた実績がある。リオの空を勇壮に舞う日本の大凧――。実現が期待される。
 日本の中日新聞の報道によると、リオ州百周年記念事業実行委員会の北原聡美委員(リオ州立大学助教授)が十七日に浜松市役所を訪問。北脇市長と懇談した後、浜松の凧揚げを披露するよう求める招へい状を手渡した。百周年への招待を受けた北原市長は「名誉なこと。検討したい」と答えたという。
 浜松の凧の歴史は古く、約四百三十年前、同地の城主が長男の誕生を祝って凧をあげたのが始まりと言われる。その風習は今も「初凧」として続いている。毎年五月の「浜松まつり」では百六十あまりの町が参加する「凧揚げ合戦」(別名「けんか凧」)が行われており、凧は大きいもので畳十帖分にもなる。
 凧揚げ招へいの企画は、リオ州の百周年記念事業委員会で昨年から検討が進められてきたもの。このたび訪日した北原助教授により、浜松市に正式な招へい状が手渡された格好だ。
 イベントの内容や規模などの詳細については今後の検討を待つことになる。委員会関係者は「(凧の)大きさは分からないが、浜松から凧の部品を運んでリオで組み立てる形になるのではないか」と話している。
 リオ州日伯文化体育連盟の鹿田明義理事長によれば、リオでは九五年にも、日伯修好百周年の記念事業として「日伯凧揚げフェスティバル」が行われた。この時の会場はフラメンゴ海岸。今回はイパネマ海岸も候補に挙がっているという。「(イパネマは)風も強いし、凧揚げに向いているのでは」と鹿田理事長。
 百周年に向けて独自の動きを進めるリオ州日系社会。日本の大凧がリオの空を舞う姿は、想像力をかきたてる。「実現の可能性は高いと思います」と語る鹿田理事長。委員会では北原助教授の帰国を待って検討を進めていく考えだ。

08年へ準備着々
サッカー親善試合も

 リオ州では二〇〇二年から、日系四団体(リオ州日伯文化体育連盟、日伯文化協会、日系協会、商工会議所)を中心に〇八年への話し合いを進めている。日伯文化体育連盟の鹿田理事長に現状を聞いた。
 同州の記念事業実行委員会では、記念碑の建立、リオ州日系移民史の編纂をはじめ様々な事業を進めている。
 リオ州日系移民史の編纂にあたって委員会では、昨年から州内全域で日系人口の実態調査を実施。調査はほぼ終わり、あとはリオ市とニテロイ市を残すのみとなっている。
 これまでは一万八千人程度と推定されてきたリオ州の日系人口。鹿田理事長は「もっと多いのではないか」と調査の印象を語る。
 このほかにも、サッカー日本代表のジッコ監督を通じた、Jリーグ・鹿島アントラーズを招いての日伯親善試合開催や、リオの歴史博物館内に日本コーナーを設ける企画。州政府と共同して市立劇場で記念式典を開催する計画もあるという。
 「(百周年まで)二年はすぐですから」と語る鹿田理事長。「リオは企業も少ないのであまり大きなことはできませんが、小さくてもいいから何かをやりたいと考えています」と意気込みを表わす。
 その一つとして挙げるのが、日本移民がブラジル社会の食生活に与えた影響を紹介する試み。鹿田理事長は、「日本移民がしたことの一つに、ブラジルの食生活を変えたことがあると思う。昔はトマトの食べ方も知らなかったと言いますから。サンパウロは日本人が多いけど、百周年の機会に、そのことをリオの人にもアピールできたら」と抱負を語った。