1月1日(日)
細川たかしディナーショー。お子さんやお孫さんの祝いの席に。ブライダルフェア。夫婦贅沢宿泊プラン。エステティック宿泊プラン。忘・新年会シーズナルスペシャルパーティープラン。
故郷の新潟グランドホテルのホームページをみたら、こんなトピックがずらーと並んでいた。
通俗のオンパレードだ。
とっておきの日の食事、芸能鑑賞など娯楽はもちろん、人生の祝い事、非日常的行事のほとんどすべてがここで生産され消費されているかのようである。
この事情は新潟に限らない。日本全国津々浦々に建つグランドホテルは、「一億二千万総中流」国民のハレを一手に引き受けてきた特異な商業空間である。
都会人の間ではグランドホテル信仰は劇的に衰退していると思われるが、節目を大事にする地方都市ではまだまだグランドホテルの威光は失せていない。
わたしも田舎者のひとりである。毎年クリスマスやお正月の時期を迎えると、グランドホテルのイベントや特別サービスが内心気になってしまう。
だから、サンパウロから車で三時間という距離に二つのグランドホテル(ポ語ではグランデホテルになるが)があると知って以来、深甚の興味を抱いていた。
それは標高千七百メートルに位置する「ブラジルのスイス」カンポス・ド・ジョルドンと、硫黄分の強い温泉地で知られる花と緑の小さな町アグアス・ド・サンペドロにある。
お前に一ページやる。グルメに関する話を書いてくれ。ただし、元旦に相応しい内容のものを。
新年号の担当者からこう言われたとき、この二つのグランドホテルについて書こう、そう思った。
その歴史、エピソード。あとはこじつけでもいい、元旦にふさわしいネタを見つけてこよう。
むし暑い日が続いていたので、カンポスの山から行ってみようと考えたのであった。
■カンポス・ド・ジョルドン=ブラジルの松と黒豆
目がさめた。窓の外は雨と霧。寒そうである。
山道を走るバス。羊がみえる。一匹、二匹……。また眠りに誘われた。
カンポス、アグアスどちらのグランドホテルも一九四〇年代に創業している。 カジノもあったが一九四六年、ときのヅットラが賭博を禁じた。さっきまで走ってきた街道の名前になっている大統領である。
そんなことが頭にあったせいだろう、ルーレットで大金をつかみ、碧眼の金髪美女とシャンパンを開け、盛大に祝う夢を見ていた。なんてありきたりな。
「最上階のスイート、予約しておきま…」。かしこまったボーイの顔が霧散していき、現実にもどる。雨霧が晴れた。到着。
雨やんで夢はカジノをかけめぐる
きたる新年もこんな景気のいい初夢をみたいところだな。目をこすりながらタクシーに乗る。
四十万平方メートルの森に入る。ホテルはその行き止まり、斜面に建つ。
外壁はうすいベージュ、とのこ色である。ものの本によると、そのイメージを漢字で表すと「黎」で、新しい時代の始まりを想像させる色だそうだ。
清涼な空気が満ちる針葉樹のしんとした森。この辺、松が大変多い。これも新年らしい風景である。
三階建て。九十五部屋。一九四四年築。玄関からレストランまで、高さ三メートルはあるゲートのような大きな窓が並ぶ様が面白い。窓の外は広いテラス。白いパラソル、白いデッキチェア。万緑の中、よく映える。
レストランの名は、アラウカーリア(パラナ松)といった。まだ午前十一時。開店まで一時間半あるという。ぶらぶら館内を散策後、酒でも飲むか。バーへ。暖炉があり、どっしりしたソファーがある。壁にはタペストリー。「らしい」雰囲気。
スコッチを片手にロビーの様子を眺めていた。なるほどグランドホテルにいるとは、人間模様の万華鏡をのぞきみるようである。
黒いコートの女、日本ならさしずめ小佐野賢治の友人だったろうと思われる面構えの男性、人気凋落気味の女優風情、隣りの吝嗇な感じの男はマネージャーか……。くせものぞろい。まるであの映画の登場人物たちのようではないか。
一九二八年、ベルリンの高級ホテルで展開する群像劇。グレタ・ガルボ、ジョン・バルモア、ジョーン・クロフォード、ウォーレン・ビアリー、ライオネル・バルモアの五大スターが競演した「グランドホテル」(一九三二年)。
「人々が来たり、去り。きょうも人生の悲喜劇を映し出す」とは、現在日本で公開中の同名ミュージカルの惹句である。
人生の悲喜劇で思い出す。一九三九年のことだ。航海の途中、第二次大戦が勃発し、敵国・英国の包囲網から逃れるため、祖国に戻らずブラジルに来たドイツ人船員たちが、このホテルの礎を築いた話を。
彼らは戦中、農場に「幽閉」されるが、終戦が告げられるや、カンポスのホテル業界で活躍する。というのもかつて働いていた船は豪華客船。バーテンダーや美容師、レストランの給仕、音楽家など、高級ホテルに不可欠なサービスマンたちだったのである。
一流のサービスは一流の客を呼ぶ。カジノ閉鎖後も、マンチケイラ山脈の社交界の舞台として六〇年代黄金期を迎える。「愛の聖書」のヒットで知られるアメリカ人歌手クリス・モンテスや、「ボサノヴァの神様」ジョアン・ジルベルト。そんな人気歌手の公演が行なわれたりもした。
レストランが営業を開始したようだ。ショーロの演奏が漏れ聞こえてくる。港町リオの太陽と相性が良い音楽。肌寒い山中で耳にすると違和感があるなあ。
しかるに、四十年前の一九六六年一月三十一日にはこのカンポスの地に、わが国の「君が代」だって流れているのである。
バンデイラ広場に「歓迎 田付景一大使」の横断幕。大使が登場すると、州警演奏の「君が代」が。カンポス名誉市民権の伝達式での一幕である。ただ、大使が宿泊したのはヴィライングレースホテルだった。
いまも当地にある日系老人ホームは当時結核のサナトリウムで、大使が訪ねたとき七十三人の日系患者がいた。その際、折から滞伯中の松竹女優桑野みゆきも慰問、「月の砂漠」を歌っている。
朧(おぼ)ろにけぶる月の夜を対(つい)のらくだはとぼとぼと砂丘を越えて行きました
哀愁漂うメロディー。霧けぶる山中を越え二等バスにガタガタ揺られやってきたわたしも、ひとりホテルのバーでぽつねんと。そろそろオアシス、いやレストランへ参りましょうか。
入り口にパステルやポン・デ・ケージョ、黒豆スープ。カイピリーニャ、バチーダ、さまざまな風味のカシャッサは飲み放題。
土曜日だったのでフェイジョアーダ(耳、尾、舌…を別々に取る方式)のビュッフェである。ハム、チーズやサラダ、パスタ、魚肉料理、食べきれないほどのデザートも。
まっさらのテーブルクロスが敷かれた食卓でフェイジョアーダ。まことに清新な心持ちで食べる伝統的な料理。ブラジルのおせちだと思った。黒豆も共通している。ならば、カシャッサはお屠蘇の代わりである。
窓をみれば松。元日の朝、かくやくと昇るだろう日輪を思い描いた。
■アグアス・デ・サンペドロ=身も心もゼロになる
かつて日本の湯の町は文学の舞台だった。
『金色夜叉』の塩原温泉、『雪国』の湯沢温泉。
ブラジルにも「温泉文学」があるかどうかは知らないが、人気作家イグナシオ・ロヨラ・ブランドォンの代表作『ゼロ』(一九七五)に出てくるホテルは、アグアスのグランドホテルがモデルになっている。
「ホテルの背後にはカジノがあるが、閉まっている。賭博が禁じられた後、ホテルはまるで森林に植えられた邸宅のように静止し動きが感じられなかった」
「昼下がり、夕食の前、テラスにいる年配の淑女たちはきれいに髪を整え、宝石を身に着け、スターの写真が掲載された芸能誌をながめている」
そんな光景をみるのは、妻ローザと新婚旅行にやってきた主人公ジョゼである。二十八歳の彼の職業は場末の映画館でのねずみ獲り。縁組あっせん所で知り合い結婚したローザがマイホームを欲しがり、それを叶えようと危ない橋を渡り始める。強盗、スナイパー、テロリスト……。
検閲されることを想定し、初版は一九七四年のイタリアだった。『インド夜想曲』『フェルナンド・ペソア最後の三日間』などの作家で日本にも読者の多いイタリア人アントニオ・タブッキが翻訳している。
翌年ブラジルで刊行されたが、一九七六年には反道徳的な登場人物の性格と不穏な行動が、軍事政権を揶揄するスキャンダラスな内容が、官憲の目にとまり、発禁処分を受けた。
同年にはまた、ルーベン・フォンセッカのクライムノベル『フェリース・アーノ・ノーヴォ』が同様の憂き目に遭っている。
アグアスは三・五キロ平方メートルしかない、スモールタウンである。
ガイドがいう。「暮らしている住民は二千人に満たない。週末は観光客のほうが多い」
町には墓地がないそうだ。「天国みたいな環境ですから。わたしたちは死なないのです」
市営の飲泉場。硫黄臭が濃厚である。「ジュベントゥーデ」「ジオコンダ」「アウメイダ・サーレス」の三つの泉の蛇口がある。 一番匂った「ジュベントゥーデ」の硫黄は世界二位の濃度。一位はイタリア・タビアーノという。国内の温泉地との比較ではアラシャー(ミナス・ジェライス州)の十二倍、ポッソス・デ・カウダス(同)の十八倍。どうりで、匂いのほうも桁違いだ。
「ジュベントゥーデ」は空腹時に、「ジオコンダ」は食前向き。硫黄化合物を含む前者はリウマチ、糖尿に、硫酸銅分に富む後者は肝臓、腸といった臓器に効用あり。食後に適している「アウメイダ・サーレス」は胃や腎臓に良い。
ヨーロッパでは古来、「飲泉は野菜を食べるのと同じ」とも考えているそうだ。
飲泉場の隣、温泉施設で一風呂浴びた。個室だ。二十分で八レアル。ヌルヌルしているぬるま湯だった。
恍惚としてきた。
人間の体の六~七割は水だ。水を追求する、これこそ、究極のグルメ道か。
体がほてっている。地球のエネルギーを全身から摂取したせいだろう。
日本の文士は湯の町に長逗留したものだが、のんびり温泉につかっていたら文学なんてどうでもよくなってくるけどなあ。
温泉施設の壁に、一枚の古ぼけた写真。三百六十度の荒野にモダン建築がある風景。撮影されたのは一九四〇年、グランドホテルの落成時だ。
「何もなかった」土地に一九三〇年代初、温泉が発掘される。石油目当てのボーリング調査がきっかけだった。
ホテルと共に、町作りが始まる。英国式「ガーデン・シティ」の概念が導入され、公園造成のため植えられたユーカリ、イペー、アカシアなどの木々は百二十万本を数えた。
落成後の栄華はだが、短かった。一九四六年のカジノ禁止を契機に凋落へ向かう。
『ゼロ』に登場するホテルの描写は、ブランドォンが泊まった五〇年代末の印象による。
当時宿泊客はほとんどおらず、ヴィスコンティの映画のような雰囲気があった。華々しさは過去のもので半ば退廃していた。
いまもその時代の寂寥感が残っている。訪ねたのは土、日曜日にもかかわらず、人影はまばら。エドワード・ホッパーの絵画に描かれるような倦怠の、夏の午後がそこにはあった。
ピンク色に塗られたアールデコ調の建築。大理石が惜しまず使用されているインテリア。黒と白の格子模様の床、柱はペパーミントグリーン。回転扉、劇場にありそうな階段。
柱時計の振り子がゆれる。その動きが目立つほど穏やかな時の流れ。
ホテルでも無料で飲泉体験できた。レトロな雰囲気の飲み場があった。その後バーに行き、シャンパンと桃のリキュールをつかったオリジナルカクテルと、ホテルの名前が付けられた地元のカシャッサを飲んだ。
日曜日の昼、レストラン。このときばかりは人出があった。ビュッフェ。前菜はカンポスと大差ない。メインは子ヤギのトスカーナ風、ボローニャ風ラザーニャ、昔風の鶏のマスタードソース焼き、付け合せはタマネギのスフレなど。
日本のグランドホテルといえば「洋食の殿堂」。そんなイメージがあるが、ブラジルでもそうらしい。
家族旅行か、子供客が目に付いた。彼らはここで青カビチーズの何たるかを知り、テーブルマナーのイロハを覚える。わたしもそうだった。一所懸命、フォークの背にご飯をのっけて食べたものだった。
食後、敷地内の森を散歩する。温泉、美食、森林浴。心身がリセットされ、新年を前に、ゼロに戻った気分がした。深緑の木立が揺れる。口を衝いて出て来た。風立ちぬ、いざ―。
◎
ホテルの住所、料金など詳細はホームページhttp://www1.sp.senac.br/hoteis
ブラジルにも全国各地にグランドホテルはあるが、カンポスとアグアスのそれの特徴は、南米屈指のレベルを誇るホテルスクールが併設されていること。
将来のホテル、レストランサービスの一線を担う若々しい実習生の姿をみかける。