「普通の暮らししてたでしょうか…」などと、テレサテンの歌の一節のような言葉を、微笑を浮かべながら言う。
「船室は三人部屋で、訪日して三カ月も遊び帰る岩瀬さんというお産婆さんと同じ部屋でね、よく面倒みてくれるし、その人といつも一緒だったのよ」と話した。他の同船者の青年たちに彼女のことを聞けば、やはり、
「そういえば、そんな娘がいたなあ」というぐらいの印象しかない。OLをしていた和子が花嫁移民をしょうとしたのは、
「西宮から大阪の道修町まで通勤するときのラッシュアワーに揉まれるのが辛かったのでね、大阪府の花嫁移民公募に申し込んであったのよ。そしたら夫の母親が訪日して、そのリストを見たんよ。他にも四人ほど花嫁候補者がいたのに、私を気に入ったので話がまとまったんよ」と説明した。
「それで、問題なく良いことばかりだったわけ?」
「来てみたら兄弟がいっぱいいてね、全部で十一人。近くに小姑が五人もいてね。その中の長女が二歳で日本から来たというけど、これはもう二世と同じよね。後はみんなこっち生まれの二世よ」
「あなたが結婚した人は、長男?」
「四男なのよ、私は末っ子だから、その四男が釣り合うと判断して」来たと言い、
「二世なのに、一世の嫁さんをどうして欲しかったのかしら? 可笑しな話ね、」聞けば、
「そうよ! あそこの家は大変らしかったのよ。野菜作りをしていたらしいけれど、うちのマリード(夫)の子供のころは、学校にもろくに行けず、荷車に野菜をのせて、裸足で売り歩いたそうよ」初期の移民の堪え忍んで生きていた姿が窺える。
「あなたが、来た時は何をしていたのよ、ご主人は」そう聞けば、
「車の修理屋、そのころは、まあまあ流行っていたけど、見習でちょっと覚えただけの技術だったと思う…」と応えた。
「そうね、あなたが、サンパウロ市の隣のジアデーマ市へ引っ越して来てから、まあ、それほど遠くない距離だし、何度か車を持っていったけれど、一つ直したら一つ壊れて返って来たわね」そう言えば、
「だから、友達が言うには、はっきり言って悪いけど直しに持っていけないって。三度は修理に来なかったわね…」
「でも、あなたを大事にしてくれたのでしょ?」
「そうよ、それだけが慰めだったわよ、ママイが連れてきた日本の女は良かった、処女だったと言ってね、今頃どの女もそうやないそうよ、それで最後まで大事にはしてくれたけどね」と言って彼女は言葉を切った。
私に時間があり、体が疲れ過ぎていない時は、料理を作りたくなる癖がある。しかも作るとなると作りすぎてしまうのも癖で、
「食べに来ない?」と彼女を誘うとかならず来る。そしてまた二人で昔のことを思い出しては、悔しさを混ぜ合わせ、ポツリポツリと漏らしはじめるのだった。和子は、
「新婚だというのに、主人の姉一家と半年も一緒に住んだんよ。義姉には眼の不自由な姑がいたし、子供が三人いてね、嫌なことばかりだったんよね。それで出て行こうと考えて、同船者の産婆の岩瀬さんに頼ろうとしたのよ。何かあったら、言いなさいよと言ぅてくれて、住所を貰うていたのでね。ところが、その住所を書いた紙がどこへ入ったか出て来ないじゃないの。それで、どうしたら良いかわからなくて。お金は多少持っていたんよね。だから日本に帰ろうと思えば出来たのに」と過ぎた日を悔やむ目をした。
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