グルメクラブ
2005年12月23日(金)
最近カメを飼い始めた。
甲羅に黄色い模様があるちょっと珍しい種だ。
ほとんど動かない。エサは何でもいいので助かる。狭いアパート暮らし、経済豊かではないわが家にふさわしいペットである。
レプブリカ公園へ通い始めた。あそこの池に石を投げればカメに当る。それほどの密度でいる。生態についての、いい勉強になる。
七時か八時。仕事帰りに立ち寄ることが多い。その時刻、広場周辺は偽造CDなどを売るカメロー(露天商)たちの喧騒が増し、食べ物では中国人のやきそば屋台が目立ち始める。
レプブリカ広場からはじまる連想ゲーム。カメ、万年、中国(人)、四千年。
やきそば屋台は、イピランガ通りをはさんで広場の向かい、バロン・デ・イタペチニンガ街に集中している。昼間は求人情報を伝えるサンドイッチマンがあふれている街路だ。
屋台はおおよそ十五メートル四方の範囲に四店。世界一の激戦区に違いない。いずれも夫婦らしい男女一組で立つ。年齢はみな四十五前後と推定される。
場所柄、客筋はサンパウロでもサイテーだが、それにひるむことはない。また、雑踏の混雑をものともしない。なにしろ人口十五億の国からきたのだ。
彼らはやはり骨がらみの共産主義者であると思われる。具、サービス、値段は金太郎飴をみるように均一同質である。差異化を図るとか、そういった資本主義社会での商売の鉄則を解していないようだ。
さらに興味深いことは四組のうち三組は男性がサポート役に徹し、フライパンを雄々しく振るのは女性である。中に、赤子を背中に担いでいる女性がいた。呂后、武則天、西太后そして江青。数々の女傑を生んだ国だと感心する。
具は肉が鶏と牛、野菜がニンジン、キャベツといったところだが、味のほうはどの屋台も大差ない。調味料はしょうゆ、そのこげたにおいが若干の食欲をそそるものの、いつ食べてもうんざりさせられる。
がまた別の日、どうせまずいことは知っているんだが知っていてあえて食う。まずいまずいと思っても腹が膨れるし、それに安上がりなので、まァ食ってもいいか、ということをいつもくり返している。
ここには他料理の屋台もあり、特に、アカラジェのココナッツ臭(デンデ油の)と、串焼きの煙がひどい。さらに行き交う車の排気ガスと、人いきれである。そういったものがないまぜとなってやきそばの味は形成されている。
大が五レアル、小が三レアル。コストの問題で麺はスパゲティーが用いられている。なので、やきそばというよりも料理名はしょうゆスパゲティーといったほうが正確だろう。
彼らはやきそばをどこの国の料理だと思いながらつくっているのだろうか。ぜひ一度訊いてみたい。
ブラス区で毎年開かれるイタリアの聖人の誕生を祝う伝統のサンヴィット祭に今年はやきそば屋台が出店していた。それは史上初のできごとではなかったか。
イタリア系の祭りでやきそばを食べてどうするとフツー考えるが、けっこうな人気だった。スパゲティーはマルコ・ポーロが中国から持ち帰った麺が起源だとの説をふと思い出した。
やきそばは、労働者階級の牙城、バールのメニューの一角を占めるまでなっている。旧市街を中心に中国人経営のバールがたいへんな勢いで増えているせいでもある。
先日は、フェイジョアーダとやきそばを並べて大文字表記している看板まで目にした。そこは中国人経営のバールではなかったので、ついにブラジル料理の代表格フェイジョアーダと併記されるところまできたか、と感慨深かった。
同時にフェイジョアーダの起源に諸説あるように、ブラジルのやきそばも結局は出自というか誕生のいきさつがあいまいだな。そんなことを考えさせられた。
日本ではなじみ少ないがブラジルでは大人気のしょうゆ味、あるいはあんかけやきそばは、だれがいつどこで作り始めたのだろう?でっかいクエスチョンマークのままだ。
サンパウロの絵葉書の定番的絵柄である旧市街のモダンビル、コッパンと旧ヒルトンホテルを背景に、深夜から朝方まで営業しているやきそば屋台がある。
付近にはナイトクラブが集中。オカマさん多数を含む街娼も目立ち、麺をすすっているのはそっち方面の商売の方々ばかりだ。
「夜鷹(よたか)そば」という言葉がある。それは夜のそば売りを意味する。路傍で客の袖をひいていた私娼を江戸では夜鷹といい、彼女らがそのそばを食べたことに由来する。
それにしても、と思う。サンパウロで「夜鷹やきそば」の光景を見るとは。
どことなく奇術師のような風貌の中国人男が振るフライパン、その下で揺れる青い炎がつくりだしたつかの間の幻影のようだ。