2005年12月21日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙一日】ブラジルは長い間、中央西部の黄金郷を秘境と思い、神が忘れた所と考えてきた。植民者は海岸線のない奥地を、原住民と野獣が生息する緑の地獄と敬遠してきた。その歴史が一九六〇年のブラジリア遷都によって終わり、ドリームランドに生まれ変わった。七〇年代から南部の農業生産者が、新しい開拓地を求めて入植。多くは着のみ着のままでやって来た開拓者であったが、いまや明日のブラジルを担う者へと変わった。その彼らが、ブラジル新時代の産業地図を塗り替えている。
【パノラマ】中央西部の開拓に先鞭をつけたのは、国立農事試験場(EMBRAPA)が土壌作りを指導したことに始まる。それから生産性の向上と立体農業を奨励した。これからも農業大国ブラジルの立役者として、中央西部が脚光を浴びると予想される。
中央西部は三十二年前、カナンの地であった。見方によっては不毛の地で、開拓者魂が黄金郷に変えたのだ。九〇年以降、作付面積が三〇%減少したのに、収穫は一〇七%も増加した。
【アグリビジネス】ペリジゴン社は二百五十の下請け企業を率いて、ゴイアス州リオ・ヴェルデ郡内に農業団地を築いた。これはブラジルの「地域興し」の新しいタイプのクルスターとして注目されている。
母体となる企業が核となり、傍系企業の経営指導と技術開発を行う。傍系企業は主産物の生産や種子や原種鳥の品種改良、包装材の製造とデザイン開発、生産物や生産資材の配給、マーケティング企業、その他数十社のアグリビジネス関連企業が参画する。
同地方には大豆のカーギルや包装材のオルサなど五百の農業団地がプロジェクトを計画中である。雇用創出ではペルジゴン社だけで一万七千人が直接及び間接雇用で就労している。
【植民地造成】ゴイアス州ポショレオ市とプリマベーラ市は、植民地が市街化した都市である。ポショレオ市はそれまでは、一獲千金の砂金掘りがたむろする寒村であった。プリマベーラ市はサンパウロ州の地主コンセンチーノ氏を草分けとする一団が七〇年に起こした植民地村であった。現在は五万三千人の人口へ成長した。
ゴイアス州北部は、新しい植民地造成の槌音が各地で聞こえる。九〇年代から始まった開拓がエネルギーに満ちた青年の町として、いま結実しつつある。同時にマット・グロッソ州は、二十一世紀の穀倉として世界に知れ渡った。
【農産加工】過去二十年間にブラジルで最も発展し、全農産物の二一%を生産するマット・グロッソ州は、次のサイクルとして農産加工へシフトした。同州は投資を呼びかけ、農業資材やかんがい機器、農薬、綿加工、包装材など五五億レアルの投資が決まった。
マット・グロッソ州は、二〇〇四年に大豆一辺倒による単作農業を反省し、多角農業を奨励している。将来の農産物集荷場を視野に道路網の強化に尽力した。同州は輸出向け法整備にも力を入れることを確約した。同州に進出した企業がフル稼動に入ると、五万人の雇用創出があるという。
【医療技術】ゴイアニア市が先端医療技術のメッカとして新しく世界から注目され、患者がゴイアニア空港へ直行している。専門とするのは、神経科疾患や身体障害者治療、てんかん、火傷、眼科などである。
晩年に視界を取り戻し、喜びを見出したジョルジョ・アマード氏を始め、ジョゼ・サルネイ氏、オスカー・ニーマイヤー氏など数多い。十一月十四日には、世界中から失明の危険のある患者三百人が押しかけた。
【コピー薬品】ゴイアス州アナポリス市はコピー薬品で世界の薬品センターを形成しつつある。避妊剤の製造許可が当局から下りたことで、年間七億錠を生産している。知的所有権で三億三〇〇〇万ドルを売上げていた外国の特許が近日にも満期となるので、途上国向け国産品輸出で飛躍的増産が見込まれている。
【ソフトフエア】瞳孔による鑑識ソフトウエアを開発したポリテック社を始め公害防止など三千社がソフト開発でブラジリアから名乗り出た。政府はグランジャ・トルト大統領別邸近くに百二十三ヘクタールを提供、二千社を招きポリテックに続くソフト輸出を期待している。
【ファッション】ジョゼ・A・シモン氏は建築現場の土工から身を起こし、ゴイアニアでジーンズとシャッツの小さな縫製工場を裏庭で始めた。スエリ・P・シウヴァ氏は、高校を卒業するとビキニの製造販売を隣町のトリンダーデで始めた。
これら無学無経験の新進事業家が、ゴイアニアを中心に縫製で三万人を直接雇用し、六万人を間接雇用している。ゴイアス州はいまや国内で第四のファッション州であり、製品の一〇%をマイアミへ輸出している。ゴイアニア市はファッションとマーケッティングの町となった。