今年、コチア青年が渡伯五十周年を迎え、十月記念式典を終えている。青年と青年引き受け者(パトロン)の関係において、五十年を経ても「青年たちはいわば奴隷代わりだった」という見方をする人は消えない。一方で、そうではない、と言う人もいる。パトロン擁護ではないが、少しでも書き残すべき、と考えた▼当時、青年たちを引き受けた先輩農業者たちは、必ずしも営農基盤がしっかりしているとはいえなかった。にもかかわらず、受け入れた。受け入れを望んだケースもあったようだ。パトロンみずからが労働者であり、家族全員で働いていた。一人でも労働力は増えればいい、という現実は確かにあっただろう▼だから、青年たちは、即日〃戦力〃とされ、きつい労働を強いられた。それは、奴隷のようであったかもしれない。要は、組合が万全とはいえないパトロンを選ばざるを得なかったということである▼十二年間に約二千五百人がコチア青年として渡航して来た。今、その内の何人が、ブラジルに根をおろしているか、正確な数はわからない。農業者として移民したにもかかわらず、いわゆる「成功」は、農業分野においてだけではない▼「パトロンに恵まれた人が成功した」ともいわれる。逆説的に、苛酷な労働に耐えても金銭的には恵まれず、農業から離れて他の分野に進出したから、今日がある人もいる。パトロンの多くは鬼籍に入った。青年を奴隷のように使ったと思っていた人は、もちろん皆無であろう。(神)
05/12/16