2005年12月07日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】ジルセウ元下議の追放について、三つの見方ができる。第一は政府の態度。ルーラ大統領は下院倫理委員会の審議封じ込めに失敗したことで、元下議が議員辞職するよう説得できなかったこと。第二は大統領府が政権獲得の恩人救出に熱意がなかったこと。第三は三十カ月間にわたる元下議の功績に報いるには周囲が冷淡で、誠意を示したのは副大統領だけだったことだ。
大統領は元下議の去就について、裏金の責任者として腹を切らせることでケリをつけ、手を洗っていたようだ。それが大統領の任期完遂と再選のために都合がよいと読んだようだ。政権獲得へ向け共に戦った同士は、目標達成とともに邪魔になるらしい。
PT第二期政権では元下議にチャンスを与えるか、その前に粛清し大統領が続投するかを考えたはずだ。これは三十日に号令をかけた救出作戦の手抜きで、側近らは裏を読んでいたようだ。前代未聞の大型汚職、ヴァレリオコネクションを企んで成立した政権だ。下院本会議の表決にかけられるなら、元下議であろうと大統領であろうと助からないと誰も思ったようだ。
恩人に対する礼儀では、次の仮説を否定できない。極刑を求める群衆に対し、ご馳走として元下議の死体を投与することは、過去の歴史では珍しくない。すでにPTは、ジェフェルソン元下議をギロチンの露として葬っているからだ。
PT牛の群を渡河させるため、ピラニアの餌にジルセウ牛を投与したのだ。これは誰も疑う余地が無い。半年間にわたって告発旋風を起こし、CPI召喚で話題を提供した消化の悪いピザで、国民はやや食傷気味である。
国民の注目はいま、パロッシ財務相よりも元側近らのチョンボに集まっている。第三の見方を好意的に見るなら、全ては起こるべくして起きたこと。パロッシ財務相もジルセウ元下議も、生きていればセウソ・ダニエル前市長も、同じ穴のムジナではないか。
ブルジョアが築いた民主制度の破壊とPT政権の樹立という同一目的に向かっていた多様な革命的手段は、PTの伝統的慣習によって許される。悟りを開いた者は何をしてもよいという考え方に似ている。だとするとジルセウ元下議の犠牲は、PTの美しい金字塔といえそうだ。