2005年11月11日(金)
バステンセ万歳――。バストス第一小学校同窓会(三宅煕会長)の創立七十周年記念式典が六日、ブラジル三重県人会で開かれた。同窓会は五年毎に行われてきたが、区切りの年にあたる今回、サンパウロ市在住のバストス出身者にも参加を呼び掛けた。会場にはゆかりの約百二十人が参集、懐かしい思い出話に花を咲かせ、旧交を温めた。植木茂彬氏(元鉱山動力大臣)、渡部和夫氏(日系初の最高裁判事)、渡部一誠氏(サンパウロ大学教授)、西礼三氏(日系初の軍警大佐)、池崎博文氏(池崎商会社長)など人材の宝庫ともいわれるバストスを代表する著名人も掛けつけ、古里に思いを馳せた。
「同級生はまだ七、八人いますよ。四キロの道を通ったのは辛かったけど、懐かしいね」
三歳で来伯し、第一小学校を卒業した松村俊国さん(80)は満足げな面持ちで式典前に語った。
サンパウロ市から五百キロ離れたバストスからは二十六人が参加。一九三三年から同地に住む渡部元最高裁判事の実姉、宮崎マリア(77)さんも同郷の仲間と語らうのを楽しみに昨晩バスに乗り込んだ。カスカッタ区(第二区)小学校出身。
「二年まで行った時、日本語は禁止になったんですよ。その後は母が教えてくれてね。当時のバストスは日本語だけでよかったから、ポ語はダメ」と笑う。「今日、弟に久し振りに会えるのも楽しみです」
式典開始前から、思いがけない再会に驚きの声が上がり、懐かしい旧友との思いで話に花が咲いた。
三宅会長は「多くの友を失い、恩師もいなくなったが、七十年を迎えた同窓会は世界でも珍しいのでは」と誇らしげにあいさつ。
司会を務めた西徹元バストス市長は「教育熱心だった両親たちのおかげで多くの優秀な人材を送り出した」とし、植木元大臣や渡部USP教授はもとより、バストス発展に尽くした人々を過去のエピソードと共に紹介、会場を沸かせた。
参加者最高齢の後藤久米蔵さん(98)は縫製業を営んできた。両手を挙げ「まだまだ元気です」とのかくしゃくぶりには大きな拍手が送られた。
「仰げば尊し」を合唱、鬼籍に入った恩師や同級生に対して一分間の黙祷を行った。〇二年の第七十四回入植記念慰霊祭の映像がスクリーンに映し出されるなか、参加者全員が献花、冥福を祈った。
引き続いて行われた祝賀会では、第一小学校出身の武藤徳雄さん(85)が乾杯の音頭を取った。「バストス同窓生万歳」三唱後、「バステンセ万歳」の声も上がり、会場は喜びと笑顔に包まれた。
バストスで勝ち組の凶弾に倒れた最初の犠牲者、溝部幾太氏の娘、吉雄ミユキ(90)、樋口愛子(84)姉妹も会場に姿を見せた。六十年近くバストスを離れていたが「それから一度も会っていない友だちが偶然隣の席に座った」。半世紀を超えた旧友との嬉しい再会に笑顔がこぼれる。
涙の場面もあった。バストス明老会、阿部五郎会長の「三八年に学校が閉鎖された日、涙ながらに歌った『蛍の光』や恩師、同窓の人々の顔や校庭が瞼に浮かんできます。五年後の式典にも皆が集えるように念願しています」とのメッセージを代読した三宅会長は嗚咽をこらえた。
パイネイラの木陰で将来の夢を語り合い、秋、その綿がこぼれるなか、日本語を共に学んだ同窓の友。そしてバストスへの郷愁を誘う懐かしい人々――。終始和やかな雰囲気で行われた祝会ではビンゴ大会や琴の演奏、ケーキカットも行われた。
名司会で会場を盛り上げ、バステンセの固い絆を確認した西元市長は「若いものに手伝ってもらい、これからも続けていきたい」と満面の笑みを見せていた。