ホーム | 日系社会ニュース | 「バタテイロ」の武勇伝語り合おう――ブラガンサ日本人会50周年――19日式典慰霊祭=先駆者の冥福祈る=離農顕著、会員の多くは商業

「バタテイロ」の武勇伝語り合おう――ブラガンサ日本人会50周年――19日式典慰霊祭=先駆者の冥福祈る=離農顕著、会員の多くは商業

2005年11月8日(火)

 ブラガンサ・パウリスタ連合日本人会(辻正美会長)の創立五十周年記念式典が、十九日午後三時から、同市ニッポ・ブラジレイラ街340番の同会会館で開かれる。バタタの栽培でかつて栄えた、同市の日系コロニア。離農者の増加や旧コチア産業組合中央会の崩壊で、現在多くは商業に従事している。当日は慰霊祭を営んで先駆者の冥福を祈るとともに、バタテイロの武勇伝などを語り合う予定だ。
 バタタ栽培の最盛期は六〇~七〇年代。約三百家族が在住し、バタタ祭りを企画するなどして賑わいを見せた。コチア青年も受け入れて、コロニアは活気にあふれていたという。
 オートバイの販売代理店を経営する辻正夫元会長(香川県出身)は「バタタは投機性が強い作物で、今日はカネがあっても、明日は無一文になる世界。パトロンは、高知や鹿児島出身の気性の激しい人が多かった」と懐かしむ。
 畑からベンツに乗り込んで、サンパウロの料亭に繰り出し、料亭を借り切って朝までどんちゃん騒ぎを繰り広げたこともあるそうだ。
 ただ連作が出来なかったことから、バタタ栽培の勢いは先細りになっていった。そこにコチア産業組合中央会の解散で低利融資を受けられなくなり、離農に拍車をかけた。
 現地コロニアは、辻会長のような商業に従事している人が主流だ。近隣都市、アチバイアの花卉栽培のように主力産業がないため、地味な存在になっている。
 世代交代も進行。同元会長の息子、正美さん(31)が会長の役にあり、会の活性化に取り組んでいる。辻元会長は「一世としては、最後の奉公だと捉えている。若い人たちに、バトンを渡す転換の年だと思っています」と、半世紀の年を位置付けた。
 当日は午後三時から慰霊祭、午後四時から式典、午後七時から祝賀会の予定。会員や招待客など三百人が出席する。会館の収容能力に限界があるので、出席希望者は事前に相談すること。問い合わせ電話番号=11・4033・0556(辻)、4033・2996(プリシーラ、午後二時から午後五時まで)。