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伝統のレジストロ灯篭流し=お盆、1万5千人を集めて=リベイラ川を染める=アトラクションも賑やか

2005年11月4日(金)

 第五十一回レジストロ灯篭流し(日蓮宗身延山南米別院恵明寺、レジストロ本願寺、同市文化協会、同市ベースボールクラブ、同市役所共催)が二日午後七時から、リベイラ川沿いの同市ベイラ・リオ公園で行われた。約一万五千人の来場者でいっぱいになった会場では各団体の和太鼓、よさこいソーラン、盆踊りが披露された。また地元名物のマンジューバの刺身などが販売された。昨年は千六百五十基の灯篭を流したが、今年は二千基を用意。人々は、川上から流れる色とりどりの灯篭が川を染める様子を感慨深げに眺めていた。
 日が暮れる頃、リベイラ川沿いにある「水難犠牲者の霊追悼碑」前で日蓮宗・石本妙豊師が導師を務め追悼法要が行われた。夫は灯篭流しを始めた故・石本恵明総長だ。
 石本夫妻は一九五四年に渡伯。翌年、リベイラ川で泳いでいる際に溺れ、七人の犠牲者が出たという事件をレジストロ市在住の日蓮宗信者、故・春日文蔵さんから聞き「それでは私が水難犠牲者の方々の供養をしよう」と、七基の灯篭を流した、というのがそもそも――同市ではこれが定説となっている。また、同じ年に恵明総長と、春日さんの働きで市役所から無償で土地を寄付してもらい「水難犠牲者の霊追悼碑」が完成した。
 以降、恵明総長が一九八四年に亡くなったあとも妙豊師が現在まで供養を続けてきた。「灯篭流しが始まった経緯はたくさん語り継がれていますね」と語る。
 同師は「始めは地元の人も協力してくれなくて大変だった。でも、水難事故が減ってきたのに気づいたのでしょう。皆、協力してくれるようになってきました。主人も喜んでいるでしょう。続けてきてよかった」。
 「私はこの川で命拾いしたんです」と言うのは同市で生まれ育った田中貞夫さん(79)。今から四十年前、自動車とともに川に落ちた。「神様が救ってくれた。毎年この灯篭流しに来てお祈りしています」。現在では、市内にホテルと靴屋を経営している。
 今年、文協会長に就任した高橋国彦さんは「毎年、人が増えている。屋台の数も増やしました。毎年、毎年大切にしていこうと思う」と話した。
 現在、同市内の日系人口は千二百家族。今では、水難事故者だけではなく、開拓者の霊も追悼法要している。坂川オノーフレさん(81)は、約四十年前に消滅したとされている桂植民地で生まれた。「桂は沼、沼、沼ばかりだった。でも川が近いのにマレッタはなかったよね」と思い出し、「両親は私ら子どもを置いて死んだ。どうしようもないからその後、レジストロに来て世話になって今まで生きている。親たちの霊が私たちを死なせなかったんだね」。
 最後には全ての灯篭が流し終わったと同時に花火が打ち上げられ、会場からは大きな拍手が巻き起こった。