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南伯移住50周年に向け始動=来年8月に式典挙行=移民到着港に記念碑=「移住者名簿をタイムカプセルに」

2005年10月21日(金)

 南部2州への移住開始を祝う南伯移住50周年記念祭が来年の8月19、20、21日の3日間にわたってリオ・グランデ・ド・スール州(以下、南大河州)で開催されることになった。50周年記念祭準備委員会(金福秀文委員長)が中心になって計画を進めている。現時点では最初の移民船が到着したリオ・グランデ市に記念碑を建設することが決定した。初日に除幕式を行う予定だ。後の2日間は同州都ポルト・アレグレ市内にあるガゾーメトロ市営イベント会場で太鼓や踊りなどのショーも計画している。
 一九五六年八月二十日、鹿児島、宮崎、熊本県の農業高校に呼びかけて集められた若者、二十三人を乗せた第七次航海「ぶらじる丸」がリオ・グランデ港に入港した。
 それ以前の戦時中、サンパウロ州から南に移住した故・星子直隆さんは「地域活性化のため南伯にも産業開発組合をつくろう」と、高校時代の知り合いを通じて二家族と単身青年を鹿児島から呼び寄せていた。
 彼らは直接リオ・グランデ港には入港できず、サントス港に着いたあと、陸路で南に下った。その後、「人数を増やそう」と、五六年に二十三人の若者が呼んだのが、南大河州、サンタカタリーナ二州への正式な移住開始となった。そこを起点に、現在では南部二州の一世は二千人いるという。
 南日伯援護協会の事務局長を務める栗原直隆さんもこの二十三人のうちの一人だ。「やはり、このゆかりの港に記念碑を創設したかったけど、人が全く来ないような所だったから、町中の公園に変更したんです」と説明する。州都ポルト・アレグレから南西に約二百三十キロある同港は、内陸湖の入り口に位置し、人通りが少ないという。
 市中心部のリオ・グランデ市役所前にあるシャビエル・ペレイラ広場に建てられる予定の記念碑は、同州石材輸出会社から大理石を無料提供してもらい、同地まで輸送してもらうそう。
 揮毫の文字は未定だが、「小泉首相に依頼しよう」「移民船全ての名前を刻み込む」などの案が出された。また「移住者名簿をカプセルに入れて記念碑の近くに埋める」とのアイデアも出ている。栗原さんは「できれば地域社会のためになるような会館も設立したい」。
 記念祭へ向けて本格的に動き出したのは今年一月の南伯援協の総会から。実質、同協会が主導で南伯商工会議所、南伯日系クラブ、今年四月に設立したポルト・アレグレ文化協会が協力し合って同記念祭準備委員会を発足させた。麻生陽南伯援協会長が病気のため休養していたので、栗原事務局長、金福委員長を中心に話を進めてきた。
 先月四日には記念祭の資金集めのため、ポルト・アレグレ婦人会の主催で昼食会が開かれた。
 「ただ、記念祭をわいわいやっておしまいじゃ意味がない」と言う栗原事務局長。「移民百周年はもちろんですが、私どもにとってはこの五十周年もそれに値するくらい大切なもの。まだまだ準備段階ですが、これから具体的に話を進めていきたい」と抱負を語った。