2005年10月19日(水)
【既報関連】イタペセリカ・ダ・セーラ日本語学校の開校七十周年記念式典が十六日午前、同文化体育協会で開かれた。卒業生など三百五十人以上が出席し、旧交を温めた。日本語学校生徒らは歴代教師を軸にした劇を披露。歴史を再認識するとともに、七十年続いてきた伝統を守っていくことを誓った。
式典は両国歌斉唱で始まった。挨拶に立った長野建造会長は「イタペセリカに日本人が入植して九十年になります。初期には、子供の教育が親たちの大きな心配だった。日本語学校は日系人の統合を促進するだけでなく、地域社会の発展に大きな貢献を果たした。これも、勇猛果敢な先駆者たちのおかげだ」などと話した。
創立者の中では長浜エイゾウさんの夫人、フデさん(101)=ピラール・ド・スール=が唯一の生存者だ。病欠したフデさんに代わり、息子のマリオさんが表彰状と記念品を受け取った。
歴代会長や教師、敬老者(七十五歳以上)らに花束が贈呈された。卒業生を代表して、田畑稔さん(元会長、73、鹿児島県出身)が「八歳の時に入学したけど、まもなく戦争が始まり結局卒業することが出来ませんでした。恩師は影を見るのも恐いくらい先生で、サンパウロに用でいくとみんなで喜んだ」と懐かしんだ。
元教師の清水アツコさん、元会長の田鍋親省さん(92)も壇上で祝辞を述べた。第一期生の前田パウロさん(82、二世)は「同級生たちはいたずら好きで、よく廊下に立たされました」とはにかんでいた。
昼食後のアトラクションでは、日本語学校生徒らが劇を披露。歴代教師によって時代を区分し、戦争中崖に穴を掘って教科書を隠したことや、戦後に授業参観を取り入れたことなどを面白おかしく振り返った。
式典には、古賀ジョン・サンローレンソ・ダ・セーラ市副市長、小川彰夫文協副会長、佐藤吉洸ブラジル日本語センター副理事長などの来賓が訪れた。