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コラム 樹海

 小紙9月29日付けにある「リヤカ―の新タイヤ」の記事は楽しくもあり懐かしい。皇居への清掃ツア―に参加したイツ―の熊野重子さんが、夫の新一さんへの土産にと宮内庁の職員の協力をえてタイヤを買ったの話である。熊野さん夫妻は1957年に移住したときにリヤカーを持ってきたのだが、歳月とともにタイヤが傷み使えなくなったそうだ▼今の若い人たちには余り縁がないかもしれないが、昭和30年代までは農作業などの主役だったし、都会の屋台でも大活躍したものである。夜の街を流すラーメン屋やおでん屋での一杯もみんなリヤカ―のお世話になったし兎に角こんな便利なものはない。貧乏学生の引越しにも使ったし、韓国はソウルの屋台もリヤカ―だったと覚えている。実は、この極上物は日本人が発明したものなのである▼しっかりした記録はないけれども、大正10年ごろにはあったらしい。電気屋街で知られる東京の秋葉原は、その昔には「銀輪店」を名乗る自転車屋さんがいっぱいあった。その一軒の中村銀蔵氏が経営する「銀輪店」が、初めて造ったとされ2代目の和民さん(故人)によると「朝空だった箪笥が夕方になるとお金が一杯で閉まらないほど」と語ったそうである、それほどに儲かったものらしい▼恐らく、熊野ご夫婦もリヤカ―世代なのだろう。そして―多分、農業移民としてこのブラジルに渡ったのに違いない。新一さん、奥さんが苦心して求めた新しいタイヤでリヤカーを新品にし末永く使って下さい。それが最高の愛情表現なのですから―。      (遯)

05/10/08