2005年9月30日(金)
自分史の執筆が発展して移民史の研究に──。香山栄一さん(80、福岡県出身)=イビウーナ=は一九七一年に神経系の病気を患い、以後車いすの生活を余儀なくされている。準二世として渡伯してきた歩みを残したいと、九三年に自分史を上梓した。人生の背景にある日本移民史を調べ始めたのがきっかけで、ハワイ、ボリビア、メキシコの日系移民史、外国系コロニアなどに研究は広がった。今、ポルトガル語で綴られた北パラナの歴史を翻訳しようと張り切っている。
香山文庫──。そう名づけた書籍は約三千冊。移民史関係が中心で、研究にこだわりを感じさせる。「凝り性なので、何かを始めるととことんまでつきつめるタイプなんですよ」。さらりと言ってのける。
着伯は一九三三年十月。一家四人でノロエステ線チエテ移住地に入った。当時七歳。労働力の一端を担いながら、ブラジル式の初等科四年まで通った。日本語は日本語学校のほか、「早稲田中学講義録」を使って独学で学んだ。
米作、綿作など農業一筋に働き、マット・グロッソ州やビリグイに活躍の場を求めていった香山さん。七一年七月のある日曜日に、〃悪夢〃が襲った。
悪性の風邪に悩まされるようになり、倦怠感、食欲不振、咳きが続いていた。この日、激しい頭痛に見舞われて倒れたのだ。検査の結果、髄液中に三〇%もたんぱく質が混じっていた。実は若い頃腰に携帯していた銃が暴発して、銃弾が腸に命中。手術を受けたのが気にかかっていたという。
その後下半身が麻痺し、車椅子の生活を余儀なくされる。「私、逆境になればなるほど、燃えるんですよ」。原因不明の病魔と闘いながら、仕事を続けた。
病身となる前、日系企業に〃宮仕え〃した経験もあるが、性格的に合わなかった。長年の経験を生かして六八年にサンロッケに農機具店をオープン。七一年に合資会社アグロ・カヤマを創立した。
書籍類を本格的に集め始めたのは、妻(二世)の初訪日(七七年)がきっかけ。年金の中から毎月、三百ドルを日本に送金。親戚を通じて、書店から希望書を取り寄せた。ブラジル経済の悪化から、海外送金は不可能になり、目標の一万冊に届かなかった。それでも、文庫は三千冊に上る。
「先駆者が苦闘しながら、コロニアを発展させていく過程を調べるのが面白い。植民事業というものはカネのかかるもの。理想だけでは、必ず失敗するんですよ」。香山さんは目を細めて、移民史研究の醍醐味を語る。
「日本人は戦前、ポルトガル語で資料を残しておらず、戦争の時に貴重なものを燃やしてしまった。ポ語で書いていたら、役所に残されていたかもしれませんが……。その点、外国系コロニアはポ語資料が豊富。入植してきた時、現地の言葉を重要視したんですかねえ」。
子供たちのルーツ探しを手助けしたいと、自分史を綴った。豊富な資料と知恵を借りたいといって、自分史執筆希望者が自宅を訪れ、これまで二十人の編集作業を手伝った。
これから取り掛かろうとしているのは、北パラナの歴史。「北パラナの植民と開発」という分厚い書籍を翻訳するつもり。既に略史をまとめている。
「一九二〇年代に、英国系会社がクルド人を北パラナに入植させる計画を立てていた。実現していたら、今ごろテロの温床になっていたかも……」。