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「安らかに眠って欲しい」=日本人家族惨殺=被害者の実弟が回想=事件日に初孫と最初で最後の対面=残された子に天上の加護を

2005年9月23日(金)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙十八日】サンパウロ市東部ビラ・ノーバ・クルサー区ガトゥラモス街は同区の中心とされる商店の並ぶ広場から隔しており、人通りの少ない閑静な場所だ。しかし今週、同街五十七番地の住宅の前には人だかりが絶えない。行き来する車も停車して門越しに中を伺う。そこが日系社会に限らず世間を震撼させた、出稼ぎ帰りの現金を狙った日本人家族五人惨殺劇の舞台となった所だ。屋内では殺害された米倉フタバさん(64)の実弟の佐々木ツネト弁護士が、荒らされた家具の片付けや書類の整理に追われていた。同弁護士は裁判で検察の証人を兼ねて審理の立会人を務める。同弁護士の姉一家の回想とともに事件を振り返ってみた。
 敷地は広い庭で占められている。庭には木や花が整然と植えられ、今を盛りと咲き誇る白いバラには蝶々が集まっている。この庭は一家の長である長野県出身の米倉タダシさん(68)が定年退職後、ほとんど外出せずに丹精こめて作り上げた楽園だ。佐々木弁護士は庭を眺めながら姉夫婦の老後の平和な一時を思い浮かべた。
 姉のフタバさんは八人兄弟の一人としてミランドポリス市で生まれた。日本から単身移住してきたタダシさんと結婚し、バリニョス市で農業を営んできた。そこの旧家は今でも農園としてタダシさんの所有となっている。その後サンパウロに移転、タダシさんは日系企業のセブン・ボイズの工場で機械工として勤務し、定年退職した。現在の家は十年前に購入した。
 フタバさんはサンパウロでは裁縫の内職をしながら三人の子を育て上げた。近年は、やはり殺害された末っ子のニウトンさん(26)がペーニャ区で開業したゲーム店を手伝うために通うのが日課となっていた。外出の折は近所に日本流のお辞儀をするため評判が良かった。佐々木弁護士は「温和で優しかった」と述懐する。
 惨劇のあった日に日本への出稼ぎから戻って被害者となった長女のファチマさん(31)は、同弁護士によると母親の性格をそっくり受け継いだようで、加えて「がんばり屋さん」だったという。今回の出稼ぎは二回目で、七カ月間就労した。
 回想している中で携帯電話が鳴った。相手は短く「Wだ」と名乗った。実は唯一人生存した長男のウィリアムさん(29)だ。事件発生以来、マスコミに実名報道されたことで名前を聞く度にいまわしい事件が思い出されるとして、親戚中でイニシアルのWで呼ぶことにしたという。
 Wさんは同弁護士が面倒を見ている十一カ月の実子を気づかって電話してきた。Wさんは、Wさんを気絶させた犯人らが絶命したと思い込んで逃走したことから一命を取り止めた。子供はWさんの妻で、日本で結婚したパラナ出身の宮本エリカさん(28)との一粒ダネだった。エリカさんは自家用ゴール車の中で射殺され、子供はエリカさんの腕の中で、返り血で血まみれになりながらも無事だった。
 タダシさん夫婦にとってはその日が最初で最後の初孫との対面となった。Wさんは顔と頭に負った傷が深く当分入院が必要だが、同弁護士はWさんに、とにかく傷の養生に専念するよう念を押した上で、少しでも気が晴れるように「どうして日本人は不要な書類でも後生大事に仕舞い込んでおくのだろう」として、「お前の両親も同様で整理に苦労しているよ」と冗談を飛ばしていた。
 同弁護士によると、平和でのどかな庭園と打って変わり、屋内は台風一禍のごとく惨たんたる状態だという。階下は家具が全て引っくり返り、奪った五〇〇〇ドル以外にも金があると見て引っかき回された跡が歴然としている。また犯人の一人のリカルド(次男のニウトンさんの幼少児からの友達)を声で識別したタダシさん夫婦を二階に連れていって火をつけたため、階上はほとんどが焼けただれている。消防と警察が駈けつけた時、階上でウメキ声が聞こえたが、火の回りが速く手がつけられなかったほどだった。また階段に山と積まれた家具が二階への通路を拒んだため、無残にもタダシ、フタバ老夫婦は焼死体で発見された。
 庭にはチビという名の雑種犬がいたが、警察の聞き込みによると、犯行当日は吠えなかった。家に出入りしていた犯人のリカルドを知っていたためと見られている。犯行後チビは台所につながれているが、警察が近づくとウナリ声を発し吠えるのがその証拠だとしている。
 佐々木弁護士は最後に犠牲者に「安らかに眠って欲しい」とした上で、「ただ残された子供には天上の加護が欲しい」との願いを吐露した。