2005年9月21日(水)
【ヴェージャ誌一九二二号】これだけ政局が混乱し政治が麻痺しているのに、経済は順調に伸びている。政界だけを見ると、政治家は自分の首しか考えていないようだ。もはや経済は政治に左右されない感さえある。この不思議な現象を説明すると三点に絞られそうだ。一は、健全なマクロ経済指数。四〇〇億ドルの貿易黒字と高金利が示す堅固な通貨の象徴。二は、ブラジル社会民主党(PSDB)が準備し、労働者党(PT)が完成した経済秩序。三は、八〇年代から始まったブラジル版産業革命の成果が実り始めたのだ。
これはブラジル版文化大革命といえそうだ。ブラジルの慣習、経営手法、社会ルール、経済政策で変革が起きたのだ。言い方を変えると、ブラジルが成長したのだ。二〇〇六年の大統領選挙では、国民がこれまでの幻想による選択でなく、大人の選択をするに違いない。
これまで数々の経済プランが実施された。その一つがレアル・プランだ。同プランはインフレを沈静させただけでなく、ブラジル経済の見通しを立てた。従って現在の経済面の成果は、偶然のまぐれ当たりではなく、堅実な基盤に立脚した必然性がある訳だ。
特に経済発展に向けた信念があったのではないのに、政治危機が始まった五月、ドル通貨は二・四七レアルから二・三レアルへと下がった。サンパウロ証券取引所は同時期、取引指数を二三・八ポイントから二九・三ポイントへ上げた。
カントリーリスクは、政治危機前の四四五ポイントから三八六ポイントに下げ、政局混乱に関わらず国際信用は向上している。政治と経済は別行動をし、経済が政治を剪定している。
しかし、政治が無用の長物となったわけではない。ただ、政治が経済発展をもたらすものではないことを示したのだ。これは、レーガン政権で蘇生した米経済に似ている。混乱した政局に同大統領が一つかみの石灰を投げ込んだのだ。
小会社が成長し大会社へ仲間入りしたいなら、内部整理をすることだ。それでも成長するなら、ルールを作ること。成長が止まったら、輸血する。
政府が経済の活殺を間違えると、二十五年前のような狂気の沙汰をやり出す。牧場の牛を没収したり国民の貯蓄を凍結したり、まるで帝政だ。八〇年代は財務相がムチャな補助金制度を設け、莫大な公共債務をつくり予算管理を脱線させた。
軍政時代には物価統制審議会(CIP)が発足し、二十一業種の公社が誕生。競争を無視した殿様商法が始まった。これら公社はCIPによって企業生命が保障されたので、生産コストの削減努力をしなかった。
アダム・スミスが国力を生み出すのは民間の活力であって政府系企業ではないといった。ヘーゲルが国民とは国家の測り知れない活力と呼んだ。
九〇年代世界はIT革命の時代に入り、ギリシャ神話のゴルゴン朝のようなブラジル閉鎖市場は、自滅の道を辿ることが明白であった。過保護政策にこだわる途上国の一人当たり所得は、市場開放をした国のそれに追いつけないことが歴然としていた。
財務省の分析によれば、半製品を輸入加工する企業は、他企業の生産能力よりも五〇%上回ると報告した。天然資源の豊かなブラジルであるが、原料から製品への加工能率が劣るのだ。財務省は輸入関税を画期的に低減し、開かれた市場を目指すことにした。
ブラジルの国内産業に、新しい時代に沿った技術革新が起こる。時代の波に乗れるかどうかで勝ち組と負け組の色分けが始まる。政治も経済も企業も自分の殻にこもり、世界へ目を向けないでは生き残れない。国際舞台に向けて開かれているか否かが、企業生き残りの決め手と言えそうだ。