2005年9月13日(火)
サンパウロ人文科学研究所の顧問だった河合武夫さんが十日夜、サンパウロ市ピニェイロス区の自宅で老衰のため死去した。九十九歳だった。
三重県出身で、一九二五年八月「しかご丸」で着伯。マッケンジー工科大学卒業。土建技師として四三年、コチア産業組合に勤務。工事責任技師を経て施設企画室長を歴任した。
人文研の前身となった土曜会の論客だった。当時から親しかった脇坂勝則さんは「非常に正義感の強い古武士然とした厳格な人だった。〃箴言人を刺す〃という感じでね」と、マカコ・ヴェーリョの死を悼んだ。
論文、随筆、紀行文、人文研リポートなどを多く著し、「古猿録」が代表作。
人文研の創立メンバーでもあり、「大親友だった半田知雄さんと毎日来ていた」(宮尾進元所長)が、体調の理由から、ここ十数年、人文研を訪れることはほとんどなかった。
夫人のスマコさんは「病院からは入院するように言われていたけど、本人が自宅療養を選んだ。水泳にも通っていたが、この一年はすっかり弱って家から出ることもなかった」と晩年の様子を語った。
初七日の場所や期日は未定。