ホーム | 日系社会ニュース | 南マ州カンポグランデ定住90周年=日系人移民史が完成=――興味深い中産階級への地位固め=初期の資料ほとんど無く=編纂作業困難極める

南マ州カンポグランデ定住90周年=日系人移民史が完成=――興味深い中産階級への地位固め=初期の資料ほとんど無く=編纂作業困難極める

2005年8月31日(水)

 南マ州のカンポグランデ日伯文化体育協会はこのほど、「カンポグランデ日系コロニアの歩み」を刊行した。日系人が同市に定住し始めて二〇〇四年で九十年になり、移民史を次世代に伝えていこうと企画されたもの。初期移民に関する資料はほとんど残されておらず、作業は困難を極めたという。
 「カンポグランデの発展に、日系移民の功績が広く認められている」。木下パウロ・ツヨシ前会長は発刊の言葉で、日系人の存在感の大きさを誇る。
 同市の日系コロニアでは、これまでまとまった移民史を編纂したことがなく、定住九十年を機に歴史を残す機運が高まった。草分けは、ノロエステ鉄道の工夫たちと言われる。定住者第一号は山城興昌で、一九一四年に鉄道工夫をやめ、野菜栽培を始めた。
 セグリード、リンコン植民地の造成に携わり〃コーヒー王国〃を築いた仲尾権四郎、旅館経営者の宮平市栄……。先駆者には、ペルーから流れてきた移民が目立つのも特徴だ。笠戸丸移民のイッパチこと、儀保蒲太がドン・アキノ街に賭博場を開いている。
 ただ、初期のころの日系人について、書き記した資料はほとんど存在していない。そのため、聞き取り調査に頼らざるを得ない面があり、作業は幾度も暗礁に乗り上げた。歩みの中で、先駆者の足跡と活動、周辺にある二十三の植民地紹介、文協の活動などが記述されている。
 戦前は多くが農家だった。戦後に各界に進出し、日系人は中産階級としての地位を固めた。日系人の職場進出が調査されているのが、関心を引きそうだ。それによると、医師二百三十八人、建築技師百五十五人、歯科医百五十五人、市役所百十四人などとなっている。