ホーム | アーカイブ | 〈食〉風景スケッチ1=市場にあった「駅の食堂」

〈食〉風景スケッチ1=市場にあった「駅の食堂」

グルメクラブ

2005年8月19日(金)

 「さびしさは鳴る」。昨年、芥川賞を最年少十九歳で受賞した綿矢りさ『蹴りたい背中』の書き出し、その表現に感心させられた。
 なるほど、わたしの身にも覚えがあるような感覚を巧くとらえた言い回しだなあと思ったからだ。
 もう十年も前の話だ。
 イタリア・シチリア島の西端トラパニの塩田を訪ねた。日曜日だったので、塩田に働く人の姿がなかった。当たり前だが、どこまで行ってもただ塩、その白色が茫洋と広がっていた。
 なにが楽しくてこんなところをほっつき歩いているんだろう。乾いた強い日ざしに照らされ、ひとりぼっちで聴いた風の音。さびしさは確かに鳴っていた。
 同時に、グーとお腹も鳴った。困った。町のレストランやバーのほとんどが休みだ。仕方がない、駅まで戻ろうと思った。幸い構内のバーは営業していた。が、メシはないよ、と言われた。うなだれた。
 グレープフルーツの生ジュースで空腹を紛らわせ、島の中心パレルモ行きの列車が来るのを、時計をにらみつつ、ひたすら待っていた。と魚のこげる匂いをかいだ。その出所を捜してみるとプラットホームの外れに簡素なというより、わびしげな食堂があった。
 ビュッフェ形式の、職員専用といった風情だが、何食わぬ顔して皿を手にし、焼き魚やトマトのサラダなんかを盛った。安ワインを飲み、一気に食べた。これが大変にうまかった。
 それで味をしめたのだろう、その後、旅先ではまず駅構内で食事をとるのが習慣になった。欧州の交通の基本は鉄道だ。たいていの駅には手ごろな食堂があったので重宝した。
 そもそも、大学に入学し、上京したとき、路面電車がそばに通るアパートをわざわざ捜して暮らしていたほど、レールのことこと鳴るあの音が好きだ。駅のベンチに用もなしにたたずんで、無数の人々が交差する様子を見て飽かないタチでもある。
 しかしサンパウロで生活し始めてからは、駅で食べる機会に恵まれていない。市内の駅に食堂がない。近年の改装でルス駅ではバーさえも消えてしまった。
 だからといってすっかりあきらめていたわけではなく、十代の頃に別れた恋人を時々思い出すことがあるように、たまーに多少切実に駅の食堂で食べたいと夢想している。
 そんな潜在願望が呼び寄せたのか、先日、ちょっと面白い場所を発見した。
 カンタレイラ街の市立市場そばに位置する、フェイラ・ド・パリ。十九世紀に建てられた赤レンガ造りの廃駅を再利用した青果市場、そこにある食堂だ。
 出入り口の事務所にいた関係者によると、「十二、三年くらい前までかなァ。リオ―サントス―ジュンジャイ線の駅だったのは」
 市場として使われだしたのはこの七年ほどで、三百の露店が「野性的」に並び、一日七千~一万の人が出入りしているという。かつてレールが敷かれていた線路をいまはトラックとリヤカーが行き交う。
 旧駅舎構内の売り場のほとんどを占めるのは香味野菜、あるいは香草の類い、内部にたちこめるその匂いは強烈だった。
 そんな真っ只中に、食堂があった。料理からネギと香草を抜いてあっても、呼吸しているだけでその風味を十分満喫できるだろう、ここなら。
 セルフサービス・食べ放題で、顧客の大半が市場関係者のようだ。食前酒のピンガから、豊富な種類のサラダ、焼き肉、スパゲティ、マッシュポテト、カボチャの煮付け、野菜炒め、水曜日にはフェイジョアーダ、豚の皮揚げまできっちり揃っていた。これで六レアルは割安だろう。
 ただ、駅というよりは市場にある普通の食堂だな。そう思い、建物の外れまで歩いた。本来の役割を終え、運搬用通路になっているホームに着いた。
 その瞬間、「レストランテ・ランショネッテ」と書かれた看板が目に。のぞいてみれば、大きさも雰囲気もあのトラパニ駅の食堂とよく似ていた。長年理想としてきたものがそこにあると思った。
 「六レアルでいくらでも食べていいのよ」と、店のおばちゃんは並々盛られた料理を指差し言った。
 「駅の食堂」という「器」に盛られた料理が湯気を上げていた。

Leave a Reply