2005年8月13日(土)
モジアナ線マットン市で命を落とした日系人二百六十一人を追悼する慰霊碑とお堂がこのたび完成し、その除幕式が六日午前、同市営墓地で行われた。ブラジル日本移民百周年が三年後に控えていることを受け、同市が日本移民の功績を称える目的で建設したもの。式には、サンパウロからは文協の上原幸啓会長、吉岡黎明副会長、ブラジル日本移民史料館の田中洋典委員長、丸橋次郎首席領事が参列。アララクアラやグァタパラなど近隣からの出席者も含めた約百五十人が開拓半ばに倒れた先亡者に思いをはせた。
日本様式で建てられた朱塗りのお堂の中央に建てられた慰霊碑には、一九一三年から六〇年までに亡くなった二百六十一人の日本人名が刻まれている。最初に死去した日本人は一九一三年十月十九日に生後五カ月の女児、キンジョ・オグスコとなっている。
除幕式でスカルドエリ市長は「マットン市の発展に日本人が果たした役割は大きい」と開拓移民を称えた。
約三年をかけ、同地で亡くなった日本人の調査を行った弁護士のアダイール・ペドロ氏は「忘れ去られた人たちを今回弔うことができて、本当によかった。苦労した甲斐があった」と涙をぬぐった。
上原会長は「市の好意で立派な慰霊碑が出来て、同胞たちも成仏すると思う」と日系コロニアを代表して謝辞を述べた。
アダイール氏は今回の慰霊碑建設にいたる経緯や先亡者の名前や出身地などを記録した約六十ページの冊子を配布。参加者たちは興味深そうにページをめくっていた。
文協はお堂に掲げられている「マットン市日系先亡者之碑」と書かれた額を寄贈、桜の苗木を二本、慰霊碑の左右に植樹した。
同市では九八年にマットン市制百年事業としてイタリア移民の慰霊碑を同墓地内に建設している。