養鶏の里として知られたサンベルナルド・ド・カンポの瑞穂植民地。終戦までに三回、総領事館を通じて「国防献金」を行い、戦後も救援物資や救援金を送った。
日本学術研究所が救援金を受け、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞するのに役に立ったという。湯川博士夫妻は五八年に来伯。同植民地を訪れ、入植者を前に謝辞を述べたのは周知の通りだ。
村長だった松本龍一さん(故人)が有志を集めて、A級戦犯になった七人の夫人に砂糖などを贈ったことは、余り知られていない。
六〇年代に東条英機の妻、勝子さんから、礼状が届いた。松本さんは終生、大切に保管。八六年十一月に死ぬ間際、史料館に寄贈するかどうか、迷っていたという。
十五日は終戦六十年。勝子さんからの礼状がどうなったのか、肉親や知人でさえ分からない。 (古)
05/8/11