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「平和の日」式典 3県人会も協力へ=終戦60周年 サンパウロ市議会で広島、長崎、そして沖縄

2005年8月4日(木)

 サンパウロ市議会の「平和の日」記念式典が五日午後七時半から、サンパウロ市議会八階貴賓室で開かれる。原爆投下から六十年。今年は広島、長崎両県人会に加え、沖縄県人会からも関係者が出席、戦争犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを新たにする。式典では広島に原子爆弾が投下された六日午前八時十五分にあわせ、サンパウロでも犠牲者へ黙祷を捧げる。式典のコーディネイターをつとめる羽藤ジョージサンパウロ市議をはじめ、各県人会の関係者が案内のため来社した。
 サンパウロ市が「平和の日」を制定したのは十年前。今年の式典では、広島、長崎の両県人会に加え、戦争末期に多くの犠牲者を出した沖縄戦の悲劇をいたみ、沖縄県人会からも関係者が出席する。
 一九四五年八月、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから今年で六十年。三十一日付のエスタード紙が三ページにわたって取り上げるなど、ブラジル国内のメディアも関心を寄せている。
 式典には議会関係者をはじめ、サンパウロ総領事館や日系団体からも代表者が出席して、平和への祈りを捧げる。会場には広島県人会により原爆被害の写真が展示され、広島に原爆が投下された六日午前八時十五分にあわせ、五日の午後八時十五分から一分間の黙祷を捧げる。南米大神宮による神事が行われるほか、広島神楽、沖縄太鼓なども披露される予定だ。
 長崎に原爆が投下された八月九日、丹生登・長崎県人会長は爆心地から三十キロのところに住んでいたという。「(投下から)日が経つにつれ、私たちの町にもケガや火傷を負った人たちがやってきました。隣町の病院に行くのに、私たちの町でバスを待つのですが、その二、三時間の間にも、水を求めながら亡くなっていきました」と当時を振り返る。
 沖縄県人会の与儀昭雄会長は、「沖縄には『いちゃりば ちょーでー(出会えば、みな兄弟)』という言葉があります。沖縄は昔から平和を愛するところ。県人会としても喜んで参加したい」と語った。
 羽藤市議は「犠牲者への祈りとともに、私たちがこれからも平和に過ごしていけるよう願いをこめる式典にしたい。たくさんの人に来てほしい」と来場を呼びかけた。
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 式典は九時半ごろまで行われる。駐車場あり。当日は市議会入口で案内がある。