2005年8月3日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙七月二十五日】ルーラ大統領は政治危機を評して、ブラジルはそれほど悪い国ではないという。アマラル・シティ・バンク元頭取は大統領発言に反発し、選挙民五千二百万人が選んだルーラ大統領と労働者党(PT)の水準位にブラジルは悪い国と述べた。古い格言では、国民の文化レベルで政権を選び、国民の文化レベルで政治が行われるという。
好むと好まざるとにかかわらず、ルーラ大統領はブラジル国民一億七千万人の大統領である。満身創痍のブラジルがどこに漂着するにしても、大統領と側近の責任がある。外国紙は成り行きを案じつつ、事の重大性を憂慮している。
エレーナ上議は、国民をコケにした恥ずべきPTから除名されたことを神に感謝すると声明を発表した。本当のことをいうならPTの人材不足は、初めから分かっていたことだ。リスクを承知で、政権獲得に賭けてみたのだ。
ルーラ大統領は労組の指導にキャリアはあるが、国家管理はズブの素人である。労組指導と国家運営とは、月とスッポンの違いがある。少し良識のある人間には分かっていたが、五千二百万の選挙民はPT政権を選んだ。だから国民は播いた種を刈る。
PTはわずか二十年の間に、最も民主的で道徳的な理想の党を築いたと自負していた。見る限り道徳は泥沼に変わり、国民を幻想から目覚めさせ呆れさせた。それでも大統領はパリで「私が生んだPTよ。他党なら百年もかかる政権獲得を二十年で達成した」と、いい気になっている。
二〇〇五年三月の調査では、六〇%が大統領を信任し、三四%が見限った。同年七月は信任組が五三%に減り、見限り組は四二%に増えた。多くの国民が飢えと寒さに苦しむ一方、汚職で丸々肥えている人々がいる。大統領の鼻の下で行われていた汚職を知らなかったなどとよく言えるものだ。本当に知らないなら、余程マヌケな大統領だ。
全ての物事に両面があるとするなら、救いは経済への影響がわずかであること。PTによる政治実験の授業料が少なくて済みそうなこと。長い目でみれば、良い勉強だ。ジェンロPT新党首は、もう一回選挙の洗礼を受けて出直す必要があると言った。
次回選挙で新政権が政治改革を行うなら、政治家による政治改革ではなく、国民による政治改革を行いたいものだ。盗人議員の回心とは、盗みを止めることではなく、他人の盗みを咎めないことだそうだ。
選挙を実施しても盗人ばかりが立候補するなら、みんなで白紙票を投じ、ブラジルの選挙制度と民主政治を根本から改革しようではないか。政権獲得が税金の無駄遣いに終わらぬためには、国民の信頼回復が必要だ。それがないなら、政治形態を変えることだ。
画期的政治改革がないなら、国民はもう少しマシな政権を選んで欲しい。それがないと、ブラジルは前進しない。再び「ブラジルは、それほど悪い国ではない」と聞かされ、浜の真砂が尽きるとも、ブラジルの汚職は尽きないだろう。