2005年8月3日(水)
【パラグアイ・ピラポ発=堀江剛史記者】パラグアイ・ピラポ移住地の岩手県人会創立四十五周年記念式典が一日、同移住地の富美村公民館前競技場で行われた。母県からの来賓、イグアスー、アスンシオンなど国内やブラジルから四十人を超える慶祝団など、約二百五十人の出席者が喜びの日を共に祝った。
ピラポの岩手県人の嚆矢は、一九六〇年九月に入植した九家族。現在、移住地在住の日系家族の約四分の一にあたる五十六家族となっている。
青々と晴れ上がり、冬とは思えない日差しが降り注ぐ午前十時過ぎ、県人会の西舘世公副会長が開会を宣言。日パ両国歌斉唱後、志半ばにして倒れた県人先亡者に対し、一分間の黙祷が行われた。
ピラポ岩手県人会の工藤繁会長は、同県からの移住の歴史を振り返ったうえで、「歴代知事を始め、現在までに三百人以上がピラポを訪れた」と、母県との繋がりを強調した。
県を代表して地域振興部文化国際課の稲葉比呂子総括課長が増田寛也知事からのメッセージを代読。続いて岩手県国際交流協会の小田島栄理事長も祝辞を述べた。
ピラポ日本人会の水本凉一会長は、二日に落成式が行われた文化・スポーツセンターの建設に「岩手県からの協力があった」と感謝の言葉を述べ、同県人がピラポの発展に尽力してきたことを確認した。
国内にある二十以上の県人会を傘下に、五年前に発足した全パラグアイ都道府県人会連合会の白沢寿一会長は「岩手県人の持つ粘り強さと誠実さという気質がピラポの発展に寄与してきた」とたたえた。
また、今年六月に「ブラジル都道府県連合会と連携を図りつつ、活動することを確認した」ことを明らかにし、「来年のパラグアイ日本人移住七十周年祭には、内外から多くの来賓を迎えたい」と述べた。
ブラジル岩手県人会の千田廣暁会長は、「〇三年の(ブラジル岩手県人会)四十五周年記念式典にパラグアイから多くの出席者を迎えたことが昨日のことのよう」と振り返り、「〇八年、移民百周年を迎えるブラジルに是非来てもらいたい」と多くの来伯を呼びかけた。
司会を務めた佐藤満氏が米国ニューヨーク岩手県人会からのメッセージを読み上げ、毎年岩手県から七十五歳以上の在外県人に送られる賀詞の伝達が稲葉課長から、小野寺アヤさんに行われた。
岩手県から贈られた激励金や祝儀が日本人会、県人会に贈呈され、感謝状が県側に贈られた。現在までに派遣された県費留学生、技術研修生OB会からは、記念品が稲葉課長に手渡された。
アトラクションでは、岩手県の伝統芸能「鬼剣舞」やパラグアイの伝統舞踊が披露され、出席者からは拍手が送られた。
公民館に場所を移して行われた記念祝賀会では、永見アンドレス市長が乾杯の音頭を取り、ケーキカットも行われた。ピラポ婦人会自慢の手料理と共に、ブラジル慶祝団が持参した刺身や東麒麟もテーブルを彩った。お国言葉も飛び出すなか、カラオケを歌い出す参加者も見られ、会場は喜びの声に包まれていた。
今回初めてパラグアイを訪れた塚田よし子さん(74・サンパウロ在住)は「遠かったけど、来て良かった」と笑顔を見せた。
第一回目岩手県人移住者として、九歳でピラポに入植した佐藤豊さん(53・花巻市出身)は「来た時は道が一本あるだけで、後はジャングルだった。当時の面影はもうない」と時の流れの早さを噛み締めていた。