2005年7月16日(土)
失礼ながら私にとってブラジルは、今まで興味のある国とは言いがたかった。日系社会青年ボランティアとして派遣されることになり、横浜で二カ月の訓練を受けていたときでさえも、「好きでも嫌いでもない国」という感覚は消えないままであった。
〇五年一月十三日、サンパウロに着きバスでリベルダージに向かう途中私が目にしたのは、あらゆる建物に描かれている落書きと汚い道路。第一印象は最悪に近かった。リベルダージ周辺の汚さに辟易させられ、うすら寒い天候の中、一週間の現地適応訓練を終えマナウスへやってきた。
マナウスの空港に降り立つとギラギラした太陽と緑が目に飛び込み、ブラジルに来たということを強く認識させた。こんなに暑いのにクーラーのない車で協会へ向かい、あれから半年が経ったのだ。
当初はやはり興味のない国へ来たのは無謀だったか、と思うことも正直あった。しばらくの間は、何をしてもどこへ行ってもひどく疲れていた。
そんな私に変化が訪れたのは、五月になりアマゾンのお祭りである「ボイ・ブンバ」の練習に出かけるようになってからだった。インディオの音楽に合わせみんながリズムにのり、バトゥカーダが響きわたり、だんだんと会場全体が高揚し一体感が漂う。
インディオの衣装とメイクに身を包んだ人たちが松明をかかげ、口から火を吹く。なんだか儀式めいているその様を恍惚として見つめた。一通り終わると再びダンスが始まり、上手な人を見つけては真似て踊った。
いつも日系人社会にいる私にとって、こうしてマナウスの人と一緒に同じものを楽しんだのは初めてだったのではないだろうか。家に帰ってからも興奮してなかなか眠れなかった。
さっそくCDを買って、読めもしないポルトガル語とインディオの歌詞をごにょごにょと口ずさんでみた。するとだんだん歌詞に出てくるアマゾン独特の果物や木の実、動物、いろんなものがポルトガル語でいう〃シンパチコ〃なものに変わっていった。
そして「マナウスのことが好きになっている」と自覚したのが、ブラジリアへ行ったときだった。たった四日間の滞在だったにもかかわらず、「早くマナウスに帰りたい」と思ったのは偽りない自分の気持ちである。マナウスが好きと言えるのに五カ月かかったのは早かったのか遅かったのか………。
一足先にあった七夕会の短冊にはこう綴った。「もっとマナウスの人と仲良くなれますように」と。
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【職種】日本語教師
【出身地】岡山県苫田郡
【年齢】26歳
- ◇JICA青年ボランティア リレーエッセイ◇
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