7月12日(火)
入植四十三周年華やかに――。ブラジル随一の〃元気のある移住地〃グァタパラ移住地は十日、入植祭を開催した。昨年九月に同地を訪れた小泉首相を記念して建立された記念碑の除幕式も行い、移住地の歴史に大きな一歩を刻んだ。この喜びの日に合わせて植えられたひまわりの大輪咲きと、これからの発展を象徴するかのように躍動する鯉のぼりに迎えられた来場者、約八百人の喜びの声が移住地内に響き渡った。
式典に先駆け、参加者はグァタパラ市営墓地にある拓魂碑を参拝、移住地内にあるモンブッカ聖家族教会のマシエル神父が祭事を執り行った。
この拓魂碑は入植十五周年記念事業として、七七年に建立されており、グァタパラ耕地に配耕された笠戸丸移民の無縁仏を供養したもの。
同農事文化体育協会の川上淳会長は「移住地、日本人がいる限り、拓魂碑を大事に守っていきたい」とあいさつ。参加者たちは先人の苦労を偲びつつ、献花を行った。
会館での式典で川上会長は、関係者に謝辞を述べ、昨年九月の小泉首相の訪問を「活性化のきっかけとなった」と位置付け、「青少年の育成と共によりよい移住地づくりを目指したい」と決意を新たにした。
続いて、在サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事が堀村隆彦大使の祝辞を代読、県連代表の南雲良治副会長、ブラジル日本文化協会代表の菅原ミルトン理事が祝辞を述べた。
かつて造成後に陥った同移住地の問題を解決すべく、日本側で奔走した国際協力機構サンパウロ支所の石橋隆介次長はあいさつのなかで「二年がかりでまとめた『グァタパラ振興対策について』という稟議書が理事長の決済後、手に戻ったとき感動のあまり、手が震えた」と往時を回顧。
「移住は子供のために美しいふるさとを作る運動である」というかつての上司の言葉を引用し、「三十年後の今、ブラジルにあって日本を感じさせる素晴らしい移住地に発展した」と感極まった表情で今日の繁栄を称えた。
続いて、会場となった会館前に建立された記念碑の除幕式が行われた。これは昨年、同移住地にヘリコプターで降り立った小泉首相の訪問を記念して建造されたもので、高さ一・八メートル、幅一メートル。
「感動 日本移民発祥の地」と首相の揮毫が刻字されており、総工費は二万七千レアル。
小泉首相の従兄である井料堅治氏が「皆様に涙をもって迎えられた感激を昨日のことにように思い出します。気候も言葉も習慣も違う土地で元気に生活しておられる姿を忘れることはありません」という首相の祝辞を代読、除幕の瞬間を逃すまいと無数のカメラが記念碑を取り囲んだ。
鏡割り後、樽酒が振舞われるなか、青年会や演芸部によるカラオケや太鼓、よさこい・ソーランなどが披露され、会場からは大きな拍手が送られた。
会館隣に設置された食堂は、婦人会手作りのやきそばやお弁当に舌鼓を打つ家族連れや、若者の喜びの声に包まれていた。
グァタパラ農業協同組合の斉藤長一会長は「日本移民百周年に向け、何か(グァタパラでも)出来ないかな」と仲間と談笑しつつ、笑顔でビールを呷った。
特設物産展で販売された、様々な農産品やグァタパラ自慢の味噌や山クラゲ、お菓子などを買い求める人々で会場は賑い、来場者の中には、両手に抱えきれないほどのお土産を買い込む姿も見られた。
同時期に造成されたリオ州のフンシャル移住地からお祝いに駆けつけた小松滋さんは「こんなに沢山の人が来るなんて」と目を丸くしていた。