先日、地方政治家の奥さんと話す機会があった。昨年十月の選挙では毎朝、自宅前に近所の住民が列を作っていたという。彼らの手には電気代や電話代の請求書が握られていて、支払うまでは帰ってくれなかった。候補者が選挙民に金銭的な便宜を図ることが常識なわけだ▼その話を聞いてしみじみ思った。政治家がいかに高邁な理想を説いても、先進国並みに法律を整備しても、結局は国民しだいなのだと。相応の運営の伴わない制度など〃ザル〃でしかない。公教育の充実によって民意を高めることこそ、最短にして最良の道なのだ▼今年公開された伯映画『Quase Dois Irmaos』は貧富の差や犯罪の問題を描いた、とてつもない重い作品だ。その一シーンで、同じ刑務所に収容された政治犯が、増えてきた一般囚との間に壁を作るかどうか議論する場面があった。軍事政権に反対し革命運動をする勇敢な闘士たちだが、一般民衆の一端、犯罪者を扱いきれない苛立ちが描かれている。あまりに哀しく無力感が漂う場面だ▼政治犯と一般囚の二人が主人公で、後にそれぞれ連邦議員、麻薬取引売人となる。貧民から大統領となったルーラは二つの世界を体現したリーダーであり、故に独特のカリスマ性を帯びているのかも知れない。富の不平等を正すのと教育機会の均等は表裏一体であり、戦後日本そのものだ▼コロニアがブラジル社会にできる貢献とは何か―。もちろん日本文化や日本語の普及も大事だが、百年祭を前にちょっと視野を広げて考えてみたい。 (深)
05/7/7