7月6日(水)
【東京支社、既報関連】ブラジル日本人移民が渡伯し百周年を迎えるまで、あと三年に迫った六月十八日午後七時半から、熊本県下益城郡城南町(旧杉上村)「火の国総合文化センター」で、ブラジル移民の父である上塚周平顕彰講演会と「イッペイの会」の結成会が開かれた。
上塚周平(一八七六~一九三五年)の生家の庭には、ほかの庭木より高いイッペーの木が人目をひく。上塚の又甥の上塚昭逸氏は、「以前は、ブラジルからきた人たちが、この家をよく訪ねていらっしゃいました。誰かは存じませんが、イッペーの木を植えていかれたのです。毎年五月には、きれいな花を咲かせます」と語る。
同家敷地内の墓石には上塚周平とともに、叔父を頼って渡伯し、亡くなった道彦氏の名が刻まれている。
上塚は同町の名誉町民である。「ブラジル日本人移民の百周年は、形だけのものではなく、有意義な実のあるものにしたい」という声が、第一回移民監督(皇国殖民会社ブラジル代理人)上塚周平と第一回自由渡航移民香山六郎(「サンパウロ州新報」社主)が学んだ熊本県立済々黌の後輩、清田和之氏(NPO日本フェアトレード委員会代表)らの間から起きた。
夏目漱石の教え子である上塚の同級生(同校六回、明治二十旧年卒)には、第一回移民船「笠戸丸」を運行した東洋汽船会社所属の船長、移民船として知られる「若狭丸」(日本郵船会社)船長らもいる。
済々黌OBたちと呼応し、城南町の米原尋子さん、水間久仁子さん、永井喜久子さんらが準備をすすめ、「郷土の誇りとして遺徳を語り継ごう」と顕彰会設立を町民に呼びかけた。
同日、会場には約六十人が参加。上塚家ゆかりの上塚高弘氏、上塚昭逸氏夫人昌子さんの姿もあった。
ブラジルと上塚周平についてニッケイ新聞東京支社の藤崎康夫支社長が語り、上塚家について詳しい中村青史氏(文学博士)が同一族について講演した。
上塚家にかかわる人々の中には、作家乾信一郎氏(上塚貞雄)や俳人中村貞女らがいる。同講演会後、「イッペイの会」が結成され、活動方針(案)が発表された。
1、百周年記念事業(二〇〇八年)への取り組み。
2、上塚周平についての副読本の製作・普及活動。
3、ブラジルとの友好都市提携を目指す。
4、城南町を上塚周平のふるさと・コーヒーの町として町おこし、全国発信する。
5、シンボルツリーとしてイッペーの樹を増殖し植樹する。
6、上塚周平資料館の開設(資料収集)。
ブラジル熊本県文化交流会福田康雄会長から「この度、米原尋子様らを中心として上塚周平翁の偉業を讃え、イッペイの会を発会、設立されます事、心から敬意を表します。(略)偉大な先駆者達の偉業、遺徳を次世代に伝え、受け継がせねばなりません。今後は皆様方と共にがんばる所存です」と祝辞が寄せられ、披露された。
すでに同町にある公園には上塚家から分植されたイッペーが花を開いた。
今後も同会を先頭に、意義ある企画が進められる。日本でも、移民・日系人の歴史をしっかりと見つめ、その強い絆を知り、両国の明るい未来を築くことこそ、ブラジル日本人移民百周年の最大の意義ではないだろうか。