7月2日(土)
ブラジルにおける日本の出版文化を調査するため、アメリカから研究者のテッド・マックさんが来伯している。戦前のブラジル日系社会で日本の出版物がどのように流通していたかを調べるため、この一カ月間、当時の資料などを中心に調査にあたってきた。戦前のコロニアではどんな本が読まれ、当時の書店事情はどのようなものだったのか。マックさんに聞いた。
現在、米国シアトルのワシントン大学で日本アジア言語文学科の助教授。ブラジルでの調査は昨年に続き二度目だ。博士論文研究のため日本の大学に留学していたこともあり、流暢な日本語を話す。専門は近代日本文学。出版史面からの研究を続けている。
東京で出版された書物が地方に流通していくように、同じ日本語共同体である植民地、さらには移住地まで届いていく。
「私たちの考える日本近代文学がどれほど、どんな所で読まれていたのか。普通に作家を見るのではなく、それを受ける方、買う読者を見てみたかった」と語る。
戦前の邦字紙の新聞広告などを通して、本の題名や入荷のお知らせなどから、当時の出版流通事情、サンパウロの書籍市場を再構築する。今回の調査では「伯剌西爾時報」を中心に調べていった。
当時のコロニアではどのような本が読まれていたのだろうか。
「資料を分析してみないとはっきりしたことは分かりませんが」と前置きし、「菊池寛や直木三十五などがよく読まれていたようです。あとは農業や医薬に関する実用書、雑誌などですね」。
資料だけでなく今回の調査では、戦前に創業し戦後もリベルダーデで営業していた遠藤書店の家族と話す機会を得た。
遠藤書店は一九二三年、初代社長の遠藤常八郎氏により創業。コンデ街に店舗を構え、輸入と小売、通信販売や地方での巡回販売まで手がけていたという。「常八郎さんの写真や当時の店の様子、商売の規模など、広告では分からないことを聞くことができました」と語る。
遠藤書店はその後、敵性言語として日本語が禁止された戦争中に閉店する。四三年ごろのことだ。戦後に再開。八〇年頃まで営業を続けた。
戦前の日系コロニアには小規模の書店が多数あったようだ。しかし、広告を出し始めて一年後にはなくなってしまうなど、生存競争も激しかった。当時の邦字紙には文芸記事や連載小説などもあり、三〇年代には伯剌西爾時報社から「こどものその」という雑誌も出版されていたという。
三〇年代の後半になると子供向けの絵本や雑誌の広告が増えてくる。移民の二世が増え始めたことも関係しているようだ。広告の中にも当時のコロニアの様子が浮かんでくる。
戦前の日本移民にとって近代日本文学はどんな存在だったのだろうか。
「中心ではないけれど、大切なものだったのだと思います」。
今後の調査については「今回は一カ月でしたが、次回はもっと長く滞在したい。地方も訪ねてみたいですね」と抱負を語った。