グルメクラブ
6月24日(金)
一九三八年ペルナンブッコ州旱魃地帯の寒村で生まれた男の話について書く。
「ここでない何処かへ」は時代を問わない、万国青年の気分である。ジョゼ・オリヴェイラ・デ・アルメイダの場合は、青空と太陽と貧乏だけは売るほどあった不毛の荒野を鍬で耕しながら、その思いをだれよりも強くしていた。
旅費をなんとか工面できたときには二十五歳になっていた。鞄に詰め込んだのはワイシャツ二枚、ズボン一着、靴二足――身の回りの持ち物はそれだけだった。バスは部品を一つずつ落とし、息も切れ切れに走った。首都リオでは民家の壁に激突した。弁償を恐れた運転手は、乗客を置き去りにして逃げた。
それでもジョゼは、八日がかりでサンパウロ市に着いた。生き残るために犯罪以外のことは何でもやった。木賃宿の八人部屋が住居だった。兄弟二人と共同でなけなしのお金を元手にして、郷土の食材雑貨店兼バールを北部ヴィラ・アウローラに開けたのが一九七三年のこと、商売は順調だったのだろう、一年後には近所のヴィラ・メデイロスに移り独立起業するに至った。
いつしか、提供していたカルド・デ・モコトーが店の名物になり、食堂「モコトー」の看板を掲げた。私はいま、そこにいる。レジで座っているのが、六〇年代に裸一貫でサンパウロにやって来た、そのジョゼである。独立を果たした一九七四年は、自分の誕生年と一緒だから他人事ながら感慨深い。ブラジルは好景気に支えられた軍事政権下で、日本は高度経済成長が一息ついた頃になる。
ジョナサン・リヴィングストンというカモメが、食べることではなく、飛ぶことに生きる喜びと意味を求めた物語「カモメのジョナサン」が、その年、日本では最大のベストセラーになった。第二位は「ノストラダムスの大予言」である。何も起こらなかった「一九九九年」を過ぎた今は思い出したくない本だ。 日本からブラジルを訪れた著名人に、フランキー堺と立川談志、さらに、同年三月までルパング島で一人抗戦していた小野田寛郎元陸軍少尉と、「文藝春秋」誌上で「金権と人脈」を暴露され、ブラジルから帰国して二カ月後に辞職した田中角栄がいる。
地下鉄・青色線の終着駅ツクルビーで降りてタクシーをつかまえた。
行き先とリベルダーデから来たことを告げると、「モコトーを食べにわざわざ?」。肌の色は白いが、タレントのみのもんたのような顔立ちの運転手はあきれた顔で言った。
うねるような坂道を行く。街外れの指標となる、車の修理屋とカルト教団の集会場、そして四畳半規模のバールが目立ち始めた。
「うちの女房がバイーア出身でさ。モコトーもファヴァもサラパテウもフェイジョアーダも家で食べているぜ」と、運転手は誇らしげに続けた。「知っているか、フェイジョアーダっていうのはな、全部で十四種の肉片が煮込まれているのが正統なんだ」。十四も?一緒に列挙した。「耳、尾、鼻」の後が続かない。五臓六腑を加えて確かに計十四にはなる。初耳だが。
バイーアを含むノルデステならではのフェイジョアーダとはそうなのかもしれない。というのも、「モコトー」のメニューで、豚の贓物、胃袋、牛の脾臓などが並んでいるのを目にしたせいだ。肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓、そして胃、大腸、小腸、胆、三焦、膀胱。身体の構造はミステリーだが、ノルデステ料理にもまた謎が多い。「家畜を屠殺して食べるとき、捨てるのは鳴き声だけよ」と、言ったのはセアラー出身の女流作家だった。
パッサリーニョ(小鳥)と勘違いして、パッサリーニャ(脾臓)を注文した。脾臓とは、胃の付近にある器官で赤血球・白血球・リンパ球が多く蓄えられており、古くなった赤血球の破壊も行なうと辞書にある。ドス黒い、いびつな形の塊が出てきた。しばらくは声もない。付け合せのレモンと勇気を絞って口に一片放り込み、目を閉じて噛んだ。レバーの味だった。
個性激烈な内臓料理はビールでは負けるな、対抗できない、とぼやいていたら、カシャッサを薦められた。百種以上揃う中から、ペルナンブッコ産を二、三選んで試飲した。すると、その臭みも苦さも好感を覚える味に変った。ミナス産も多数あったが、よりアルコールに近い風味のペルナンブッコ産の方が、断然合うのではと思った。なるほど。「土地の料理には土地の酒」である。
土地なし農民運動(MST)の赤帽子をかぶり、薄汚れた袖なしシャツを着ている褐色の細身の男、ネクタイ族、若い日系人カップル、赤ワインを飲んでいる南部の出らしい長髪男(ガウーショ風)と、客層は雑多だが、求めてくるのはたいがい、文字通り看板メニューのモコトーである。ビールのボエミア社が主催の、ビールのお供に相応しい居酒屋料理を選ぶコンクールがあって、候補に挙がるのはたいてい繁華街で営業する店の料理なのだが、ここのモコトーは中心部から遠い北部という立地条件にもかかわらず、審査員の食通をうならせているばかりか、市民からの支持も厚い。
脾臓を食べた。カルネセッカと胃袋も食べた。モコトーを頼むときを迎えている。大・中・小の三つの分量に分かれているのは親切だ。ファヴァダ(ソラマメの煮込み)とバイォン・デ・ドイスを収める分のゆとりを、胃に空けておかねばならない。私はノルデステフルコースでいくつもりでいたから、「小一つ」と言った。ノルデステの乾いた陽が香るほがらかな笑顔で店員は、「はい」と応じた。
日本の味噌汁用のお椀に入っていた、それが。ミントの葉、トマト、タマネギ、ニンニク、塩コショウ……香辛料と野菜を駆使して調理された牛足スープはフランス料理のあの「高級感」さえ感じさせる仕上がりだ。「うーん、絶品ね」。無精ひげをなで、目をつぶって一人つぶやいた姿を、傍らを通り掛かったジョゼの息子ロドリゴは見ていた。
店を手伝いながら、料理学、すなわちガストロノミアを学ぶ学生である。モコトーの洗練も、お椀のアイディアも彼によるところが大きいのではないか。カシャッサの品数が充実しているのは実際、モデルのようなスマートな容姿をしたロドリゴの提案のようだ。 ペルナンブッコ産カシャッサの代表格であるピツーの金ラベル最高級品とリンゴ風味のデザートカシャッサをサービスしてくれたからほめるのではないが、「モコトー」を発展的に継承する二代目になるだろうと私は確信している。
父親が店を始めた頃は、スープに浮かぶ牛足に毛が生えていたかもしれないのである。時が流れて、モコトーも変わる。すっかり頭髪が白くなったジョゼはかつて鍬を握ったその手で紙幣を数えながら、ノルデスチーノ二世といわれなければそうは思わない働き者の息子を静かに見守る。
◎
前菜は〇・五~三レアル。モコトー、ファヴァダなどメイン料理も三・五~六・五レアルと安い「モコトー」の住所は、ヴィラ・メデイロス区ノッサ・セニョラ・ド・ロレット通り1100。電話11・6951・3056。