6月24日(金)
「問題も解決し、親父もあの世で喜んでいると思う」。南米産業開発青年隊の父である故・下元健吉氏。その長男、下元マリオさんはサンパウロ州立ケンキチ・シモモト学校で立派に挙行された胸像除幕式を振りかえり、しみじみ語った。肌寒い風の吹く中、十八日午前十一時から校庭で行われた式典には、パラナ支部の三人を含めた青年隊協会関係者ら約三十人、下元家から十人、学校の児童生徒ら百人以上が参加した。昨年の十月のケンカ騒ぎ、胸像拉致と青年隊内のゴタゴタにようやく決着がつけられた。
青年隊で〃神代〃の世代といわれる第一次生、塘(つつみ)陽一郎(71、佐賀県)パラナ支部長も「学校に設置することできれいに幕が下ろせる」と喜ぶ。第一期生が入る前に、測量して道路を作り、橋をかけた功労者だ。「道なき道を作った。まだインジオがいた頃だ」。この日のためにパラナ州ウムアラーマから駆けつけた。
同じくパラナ州からクリチーバ在住の坂本円二さん(71、徳島県、八期)も駆けつけ「州立学校に置くことで大きな筋目になります」、ウムアラーマの渡辺貴人(長野県、六期)副支部長は「パラナとしては良い場所だと喜んでいる」と語った。
十一時から始まった除幕式で、リッタ・デ・カシア・カルドーゾ・コスタ校長は「大歓迎です。毎年六月十八日に何らかの祭典を行っていきたい」と感謝の言葉を述べた。
青年隊協会の牧晃一郎会長は「下元家の協力に感謝したい。今後、末永く学校とはお付き合いさせていただく所存です」との決意を語った。
この学校にシモモトと命名する運動を起こした初代校長、ドゥルシーナ・レアル・ゴンサルヴェスさんは八七年十二月二十七日にフォーリャ紙に掲載された下元健吉氏の記事を読んで感銘を受け、友人だった南米銀行の弁護士などを通してコチア産組に働きかけて許可をもらい、実現した経緯を説明した。
サンパウロ市から西へ三十五キロにある同校は八五年に創立し、当初の校名はジャルジン・パノラマだった。現在、中学高校合わせて千二百人が学んでいる。
コチア青年連絡協議会の高橋一水会長は「大変喜ばしいこと。下元氏なくして、私達がここへ来ることはなかった。この地で末永く見守っていただけるよう念願したい」と挨拶した。
コチア市のカーボ・ギヴァウド市議は「産組の存在によってこの町の名が全伯に知られるようになった。素晴らしい功労者です。心からの感謝を捧げます」と力強くマリオ氏と握手を交わした。
〇三年に後半期に十五人の生徒に、下元氏の業績を調べる研究課題を行わせたリッタ・マリア・ソウト教諭は、約八十ページ近い報告書が完成し、地元誌『Em Cotia 41』にも掲載されたと報告した。「この報告書を本にする寄付も集めたい」。
最後に木下節生太鼓グループの七人が汗だくになりながら「日向」を披露すると、生徒たちから「ノーッサ」と驚嘆の声が漏れ、大きな拍手が送られた。
この式典に参加するためにサンタカタリーナ州サンジョアキンから出聖した次男、下元慶郎氏(74)は本紙の取材に応え、「いろいろな意見の違いはありうること。とにかく円満に収まって良かった」と胸をなでおろした。