6月18日(土)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十七日】スーパー大臣とまで呼ばれたジョゼ・ジルセウ官房長官が十六日、政治危機収拾のため内閣改造を待たず閣外へ去り、一下議として納まることを表明した。ジルセウ氏は、ルーラ氏を国家元首にまで引き上げた立役者で、労働者党(PT)の顔でもあった。キューバで亡命生活を送った往年のゲリラ戦勇士は、二十五年間の臥薪嘗胆の末国家権力を手に入れた。同氏は、ジェフェルソン・ブラジル労働党(PTB)党首から大統領の連座を避けるよう追放勧告を受けていた。
PT政権の最も長い日だった四十八時間を経て、官房長官は大統領に辞表を提出した。「我が身に恥じることもなく、良心に一切の呵責もなく、誇りを以って任務を終える。ルーラ大統領との二人三脚は、私のロマンであり夢であった。何となればPTとは、私である」と辞任の挨拶を述べた。
後任はヴィアナ・アクレ州知事が候補に上がっていたが、ジルセウ氏の了解が得られず空席となっている。バルボーザ官房次官が、臨時として官房室を取り仕切ることになった。
ジルセウ氏の側近らはレベロ政調会長の陥落を画策したが、官房長官が先に辞任へ追い込まれたのは皮肉であった。隙間風が吹いていた政調会長と官房長官との間は、郵便局汚職の収拾で修復されたばかりだ。
同氏のPT内での勢力は、二〇〇四年二月の側近ジニス氏の賭博リベート事件で後退し、さらに裏金告発でとどめを刺されたと言えそうだ。政権分断を試みる勢力に対し、巻き返し作戦を宣言した矢先の辞任宣言である。景気の冷え込みから挽回する経済政策強化が当面の課題と、同長官は党首脳部と打ち合わせていた。「財政状態は盤石」が看板のパロッシ財務相は、ライバルを失った。
〇四年二月十三日金曜日は、ジルセウ氏にとって運命の日だったのか。この日を境に風向きが変わり始めた。側近ジニス氏が賭博業者からリベートを受け取った現場を録画され、TVで全国へ放映された。翌日には週刊誌に特集で詳細をスッパ抜かれた。同側近の失脚で、ここからジルセウ氏の片肺飛行が始まった。
官房長官の辞任は、内閣改造の発端と言えそうだ。〇四年一月の官房室分裂の責任を取らせるため、次は政調会長の番らしい。この二人は古巣の下院へ帰る。ベルゾイーニ労働相やジュカー社会保障相も下院へ帰り、議会対策に専念する。コスタ保健相も能力不足で降りる。省庁の次官も大幅削減される予定だ。
ジニス事件以来、官房長官の処遇で頭を悩ましていた大統領にとって自主的辞任は一件落着で、肩の荷が降りたと言えそうだ。最近は経済政策にも官房長官の矛先が向き、PT首脳部にもヒビが入ろうとしていた。
「ブラジルのラスプーチンめ、ざまあみろ」と、PTB党首は自宅で祝杯を挙げた。官房長官辞任は、これから始まるスペクタルのほんの走りだという。同党首は十七日、PTと連立を続けるか決別するかを決める。下院へ帰る元官房長官は、下院倫理委員会へ喚問されると思われる。ジルセウ氏は、PTB党首の議員権剥奪へ賭ける可能性もある。