6月9日(木)
[既報関連]五日、サントス厚生ホームで、フェスタ・ジュニーナがあった。主催者の予想を大きく上回る約五百名もの来場者があり、賑やかだった。「(九一年に)ここに着任して以来、これほど多くの人たちが一度に来訪された記憶がありません。食べ物などは来場者を四百名と想定して準備をしてきたので、大変でしたが、本当に嬉しいことです」と斎藤伸一ホーム長。
斎藤ホーム長の言葉を裏付けるかのように、サンビセンテ婦人会代表の青木やす子さんが「何年も前から刺し身作りは、私たちサンビセンテの援協会員の役割となってきました。今日は作ったサシミがひと皿も残りませんでした。初めてですよ」。
夫の青木宏さんは、厚生ホーム経営委員会委員長として、来訪者の応対に会場を歩きまわっていた。
入場料十五レアルで食べ放題。刺し身、うどん、焼きそば、いわし・鶏・リングイッサ・牛肉などのシュラスコ、てんぷら(かき揚げ)、マンジューバの酢漬け、おにぎりなど、海の幸と山の幸が次から次とテーブルに並べられた。
五十名のボランティアが前日から準備を始めたという。会場での混乱を避けるため、ホーム入居者五十九名は正午の開場時間前に昼食を済ませた。一時的にせよ、来場者、ボランティア、入居者を合わせると、六百名を越える人々が厚生ホームに集まる祭典となった。
手づくり料理が並ぶテーブルの前には午後一時を過ぎても長蛇の列が続き、立ち席が出るほど熱気むんむんの会場となった。四十七名で参加したという沖縄県人会サント・アンドレ支部ウルマ婦人会の宮里喜美子会長は「一九九三年、当時、私たちの会長となった山城千枝子さんのご主人が援協理事で、厚生ホームの経営委員となりました。それを機会に私たちは毎年のように訪問してきました。その都度、入居者の皆様から逆に慰められたりもしました。今年はどうしようか、と考えていた矢先の五月三十一日、ニッケイ新聞記事を読み、すぐに会員に電話連絡を取り、この参加となりました。今日は各人が入場料を支払いましたので、平等に貢献できてとても嬉しいです」と安堵の顔だった。
従来は、慰問品に金一封を添えて訪問していたようだ。サンパウロから参加した永山八郎夫妻(コチア青年・福島県)と再会を喜んだ古屋泉さん(83、山梨県)は、右半身不随ながら、俳句、短歌、彫刻などを欠かさずに毎日〃芸術〃しているという。元気な当時はイビラプエラにあるゲートボール場で六年間、毎朝ボランティアで掃除をして、永山さんらを感激させていたようだ。今は「生涯芸術だよ」と豪語する古屋さん。
宮城県出身の三上治子さん(83)は、川柳作りを生活の一部としている。厚生ホームに入って自由な道を歩むことができるようになったからだ。ホームに住む唯一の韓国人夫妻は日本の大学を卒業している。「人生の終わりに、話合う仲間がいるのが楽しい」と屈託がない。厚生ホームの明るい一面だ。
食欲を満たした後は花柳流金龍会の日本舞踊や福島県人会スザノ支部の白虎グループによる太鼓ショーなどを来場者と入居者が一緒になって堪能した。
ブラジル移住七十三年になるという、サンパウロ在住の大阪府出身の九十二歳の古老は「厚生ホームを一度は訪問してみたかった。今日はそれが実現できて満足だ」と帰路についた。
入居者の健康の一助になれば、とジャカレイにあるコチア農業学校で研修に励んでいる南米諸国の研修生たちが栽培した無農薬野菜とタマゴ(合計十箱)も寄贈された。晴天にも恵まれたフェスタ・ジュニーナだった。