5月18日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙四日】デジタル新聞の攻勢で、封鎖に追い込まれた東ドイツの一流紙ポリツブルの悲劇が悪夢となって脳裏を襲うと、ウオールストリート・ジャーナルのマルチネス・ブラジル特派員がいう。ポリツブル紙の社員は八八年、東ドイツのエリートとして一般市民の羨望の的だった。
しかし、それは同紙だけではない。どの新聞も同じ運命にある。デジタル新聞の時代がすでに始まっている。多くの新聞社の社員は頭の切り替えができず、十年一日のように旧態依然の仕事振りだ。
購読者が永遠に新聞を購読し、広告料が入ってくると思っている。ブラジルでは六四年に五人に四人が新聞を購読した。それが二〇〇五年には二人に減った。別の統計では現在の新聞人口は一九%、四四%はウエブ・サイトを開くという。
新聞が深刻な過渡期にあることが確実に実感できる。特に新聞革命といえるのは情報を購読者に届ける速度だ。現在の新聞は、自動車時代に馬車で新聞配達をしているようなもの。新聞人のメンタリティが、鹿を追って山を見ない。大局観に欠けている。
新聞の伝統的使命はIT革命で少し変わった。読者は必要な情報を短時間に、一紙だけではなく世界中から集めている。それは残念ながら、ペーパー新聞の限界を超えている。
デジタル分野ではヤフーとグーグルが支配し、有力ブラジル紙も影をひそめた。バーチャル新聞はデジタルの新移民で、既存紙はデジタルの先住民といえる。デジタルの図り知れない有利性から見て、既存紙は映画産業の道を歩んでいる。