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連邦議員、伯日議員連盟会長=小林パウロさん死去

4月28日(木)

 サンパウロ州唯一の日系連邦議員で伯日議員連盟会長、小林パウロさんが二十六日午後七時五十分ごろ、サンパウロ市内のガン病院で死去した。五十九歳だった。軍政時代の一九七四年、三十歳の若さで大学・予備校オブジェティヴォの講師からサンパウロ市議に初当選。一九八〇年年代終わりには、カルドーゾ前大統領やマリオ・コヴァス前サンパウロ州知事らを輩出した中道左派のPSDB(社会民主党)の創立に関わるなど、波乱に満ちたブラジル現代政治の中枢を歩み、若手政治家の精神的支柱として政界で存在感を放った。また、日本への公式訪問は三回を数え、ともに連邦議員だった野村丈吾、上野アントニオ両氏を引き継ぎ、日伯交流促進にも尽力。五月訪日予定のルーラ大統領に随行する意欲も見せていた。さらに、コロニアの行事には頻繁に顔を出し、リベラルな気風で親しまれた。この六月には還暦を控えていた。
 エスタード紙によると、死因は肺がん。二十六日夜、遺体は両院からサンパウロ州議会に移され、二十七日午後まで多数の弔問客が訪問、同日夕、モルンビー墓地に埋葬された。
 一昨年末に病気が判明、議員活動の傍ら、懸命に化学療法を続けてきた。回復の傾向が見られた昨年末には、リベルダーデ恒例の餅つき大会に出席。「今年は公私ともども回復の時期になると願っている」と、力強い口調で語っていた。三月のパウリスタスポーツ大賞受賞式、四月のリベルダーデ花祭りにも顔を出し、日系社会に復活を印象付けた矢先の死だった。
 一九四五年にサンパウロ州リベイロン・ピーレス市で生まれた日系二世。本名はパウロ・セイイチ・コバヤシ。サンパウロ・カトリック大学では地理学を専攻。ほかにも経済、考古学、民俗学、社会学などを学んだ。その後一九六七年から予備校・大学のオブジェティヴォで教鞭をとり、学生に絶大な支持を得た。このときの学生らが後年、「選挙地盤」の一部となったといわれている。
 一九七四年サンパウロ州議初当選以来、同州議三回、同市議二回の当選を重ね、九一年には日系政治家として初めて同市議会議長に選出された。一九九八年選挙で日系唯一の連邦議員に。二〇〇二年選挙では補欠だったが、今年一月から議員に昇格していた。